イヌイが本年二月に亡くなっていた。あの、元気者だったイヌイが。
先週届いた奥方からの喪中はがきで、それを知った。何故? 近年は自転車レースに入れ込んでいるとの賀状での報だったが。
イヌイのことは水産学部の学部生だった頃には名前だけを知っており、卒業後に共通の徹っちゃん先輩を介してようやく山行を共にした。南日高に道北の沢、台湾渓谷に、中アの沢へと。
兎に角、馬力のある男だった。悪場でのクライミング能力も高く高所にも強そうで”殺しても死なない”ようなところもあった。遠路はるばる拙宅に飛んできた2000年秋、一緒に登った中アの空木岳を「そらきだけ」と読んだこの男も後に、蹴球コスタリカのようにワンチャンスをモノにして世界で400人といないK2登頂者(南南東リブより)の一人になったほどだから。
今、その掲載記事のある「Rock&Snow」026を読み返しているが、何の偶然かカムチャッカで亡くなった澤田先輩の現れる記事掲載もある。
台湾の志楽渓を初遡行した際には、隊長だった私のことを後々まで随分と立ててくれた。今でこそサラッと遡行できた記憶があるが、日下や乾といった強力男が居たからこその成功だった、と今にして思う。K2への遠征の際は、職を擲つ覚悟で上司に長期休暇願をを出したという。それが好意的にとらえられて辞めずに済んだと笑って伝えてくれた。登れてヨカッタなぁ、イヌイ。しかし、辞められていたら・・・・。
日高山脈に惚れ込んだ彼奴は、就職先をその麓の町に選んだ。海と、山の間に。
ウチとは構成も同じ三人の子供をこさえたイヌイと、娘にその名を付けた私との共通項が、共に青春を投じた日高山脈である。日高はきっと、登り尽くしたことだろう。
K2よりも険しく高く美しい山が、天国にはあるという。志楽渓より奥深い渓谷も流れていることだろう。お前なら、きっと登れる。ただそれでも、日高山脈を越える魅力ある山は天国にも無いだらう。
三重出身のイヌイとはまた逢う機会がきっとあるものと思っていた。日高を肴に呑みたかった。
今日、葉書で話を伺った奥方からの返答があった。不躾なる質問に丁重にお答え下さった奧様には感謝したい。北海道に赴くことももう無いと思っていたが、線香を上げに出向かねばなるまい。今の私に何か出来ることはないか。人間万事塞翁が馬、か。
2000.10.9の、空木岳から下山したあの日こそが、彼奴との最後の日だったと、その時誰ぞ教えてくれなんだか? 教えてくれる人が居たならば、もうちっくと気の利いた別れの挨拶を交わせたものとも思う。
あいや、それが知れなかったからこそ人生とはかくも素晴らしいものなのかも知れない。
合掌。