ニルカンタ峰で遭難死した難波氏の追悼文集と、レディースフィンガー峰で遭難死した松岡氏の追悼号とにその名はあったのだが、別人であった。
最近、殆ど閲覧していなかった「雪山大好きっ娘。+」HPを偶々開いたところ、杉野保氏の訃報が掲載されていた。滅多に開かない遭難追悼冊子を漁っていた最中の事だったので、その符合に些か驚きもした。
クライミングに疎い私であるが、氏の書く吸引力の強い文章を読むのが好きで一時、バックナンバーを漁って集めたものだった。
一般にはRock&Snow誌19号〜34号に連載された『Old but Gold』で杉野氏の名前は記憶されていると思うのだが、私が特に繰り返して拝読したのが41号のイギリス特集での「トラッド王国に足を踏み入れて」だった。これの『ライトウォール』の項は実に汗を握る読物になっている。もう何度読んだことだろう、これ位読ませる記事もそうザラには無い。クライミングの”芯”に興味がおありの方は取り寄せて是非一読あれ。
「頂上で喜びとともに感じたのは自責の念だった。自分はとんでもない危険を冒してしまった。」
杉野氏をお見掛けしたのは2004年の五月連休明けに小川山の仏壇岩に登った日だったと記憶する。それも岩場ではなく、廻り目平の風呂でだった。私と成瀬さんとが中国大陸の渓谷に出掛ける直前で、氏が丁度ロクスノ誌で中国大陸でのクライミング体験を報告されていたタイミングだったことも手伝って、そんな共通項で話し掛けてみようとしたのだったがクライマーではない私はやはり畑違いもあって結局話し掛けることは無かった。首まで浸かったそのお姿は何かを深く考えている風でもあり、疲れを湯に溶かしている感じでもあった。ザブリと湯船から出て見えたその肉体は筋骨逞しく、”肝心な”部分はタオルで隠されていたので不明。
クラッククライミングをはじめ、ヒマラヤ、いやヒラヤマユージ氏とのヨセミテビッグウォールのスピードクライミングなど、飛び抜けた存在の方であった。クライミングの範疇で亡くなる方ではないと勝ってに思い込んでいただけに、知己も持たないのに今回の墜死の件には悲しく寂しい気持ちにさせられた。改めて氏の残した文章を再読したい。合掌。
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