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以前に書いた福居良氏と同じ、悪性リンパ腫だったとのこと。享年53。
氏を知ったのは「岩と雪」の休刊(1995年)間際にインタビュー記事が掲載されて読んだのが最初だったと記憶する。
過激なことをスパスパ言い抜くキツそうな人だと思ったが私自身、発言内容を精査できる程にフリークライミングの世界に通じていたわけでもなかった。
その後に、どうやら氏は私の所属していた部に一時在籍したことがあったらしく、OBの大野村さんが「俺は彼奴にクライミングを教えたことがある。だからアレは俺の弟子や。」と宴席で冗談混じりに話していたのを覚えている。同期なのに弟子?。
私が入寮して初めての部屋に居た先輩の藤川氏は当時「奴隷倶楽部」と称するクライミング集団に属していたが、これと吉田氏は関係あったのかなかったのか?
一昨日の安平路山行の帰途車中にて米山氏からもこの訃報がもたらされた。山岳部のOBからのフェイスブック情報で流れてきたと。
米氏の2つ上で、初めての春合宿に出掛ける電車中に向い合せで話したと聞いた。その3年生当時には既に退部を考えていたそうで、チョット暗い顔をして話していたとのことだった。退部を決めて恐らくその後、退学もしてクライミングに専心した生き方を選択したのだろう。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」はちょっと違うが、潔く「片方の」世界を捨て、ようやくの対価を空雑巾を絞るが如くに得る。
そうして随分な人間たちに影響を与えたのは周知のこと。
53なんて私とてじきに迎える年齢だ。人生を全うし、手抜かりなく生き抜けるか。
「最期は笑みさえ浮かべているようでした」とある。合掌
http://blog.livedoor.jp/hardlucktome/
追記;これを書いた二日後の本日10/20午後に「ミスター・ラグビー」平尾誠二・神戸製鋼GMの訃報が入った。同じく53歳!
93年に一緒に登っていた相方が岩雪かなんかに載っていた『吉田和正27歳・真のフルタイムクライマー!!』という記事をみて『やっぱこうでなきゃ!』と言っていたのを思い出しました。
合掌。
林APつながりで、保坂氏を検索してみたら奴隷倶楽部出てました。
https://www.climbing-net.com/iwaba_detail/赤岩青巌峡/
ほうほうほう、有用な情報提供に感謝する。
奴隷倶楽部は北大関連ではなく秀岳荘由来か?
「林APつながりの保坂達巳氏」という部分が解釈不能。保坂氏--大野村氏繋がり?
「93年に一緒に登っていた相方」というのにも興味有り。支障無くば教えて頂戴。イグ?
失礼、ありゃ92年だった。吉田氏も29歳ではなかったか・・・。
藤川さんがクライミングしてたのは聞いたことあったけど奴隷倶楽部だったのね。
詳細
PS
北24条の編み物好きな先輩のとこはオオタマンだね
e-hara様
おお、そうそう大玉舎だった。懐かしさの余り、脳みそが痺れる〜。
藤川さんがクライミングしていたのを知っていたかよ。1989年当時はもうあまり関わっていなかった様子だった。
米山が入部した1984年は、フリークライミングが活発に広がった頃でした。横溝吉宏、保坂達巳は、米山の同期入部でした。二人とも2年目、85年の初夏には山岳部を去って赤岩青巌峡に通い始めました。地下足袋をやめられなかった私は小樽の赤岩すごろくしていました。
吉田さんとは84年五月連休の旭川行き普通列車のボックス席で向かい合って酒飲んでました。「男は長州!」「女は信州!」なんてやっていましたよ。みんなダサい秀岳荘ジャンパー来てましたね。
http://api.yamareco.com/modules/yamareco/include/tmp_imgresize.php?maxsize=800&did=21426&fname=6f9b99e45fb07a42e2f179ce67f4ac68.JPG
米山の真後ろが吉田さんで、米山の右が保坂くん、米山の左4人目が横溝くんです。
エ、米山がどれかわからない?
yoneyama様
ということは、やはり「奴隷倶楽部」は北大関連クラブということになりそうだ。
男は長州はまあいいとして、女は信州なのか。女は札幌だと思ってこれまで過ごしてきました。いや函館?
面識ないけれど石橋兄が判る!林野の方だそうで。
関係ないけれど、ナンガマリ登れたようですね。茂木さんもサミッター?
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