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第三子が生まれる前の事なので5年以上前の事になるが、妻の受ける某講習(全5回位)が京都で開催された際に、折角の事なので家族もろとも車で出掛けたことが2度3度あったと記憶する。岐阜からは、近くもないけど遠くもない、それが京都。
御存じの通りに秋の京都は激混みで、市内に車を乗り入れようものなら動かないわ駐車場無いわで往生こく。なので、大津でパークアンドライド方式を取った。
家内の講習開催中、京都で何をしていたか?観光なぞに目もくれず、京都市役所傍の中古屋でジャズレコード漁りに精を出していた。
大した出物もなく、些かグッタリして京都市役所のベンチで休憩を取っていると大看板があって、当日15時から同志社と立命両大学の応援合戦が開催されるとある。観戦用のイスがズラズラズラと並べてある。応援団が、観られる!
私が大学進学に当たって関心を強く寄せた事の一つに「バンカラ」気質があった。北杜夫や畑正憲の本に親しんだことが大きかったように思う。
高3時に私は受験勉強そっちのけでその大学周辺の情報を収集することに腐心して、合格後の学生生活を夢想することに多くの時間を費やした。そこで蒐集した情報誌には「恵迪寮」がありまた「応援団(略して援団)」が載っており、その余りのムサクルシさに大いに興味そそられた。ボロッボロに着古した浴衣?に伸ばし放題の髪と髯、高下駄にエゾ鹿の角の杖と、第三者に与える印象が強烈に過ぎた。入学後には探検部に入部することを決めていたので、入寮して雰囲気だけでも味わえられればと思った。
入学入寮後からすぐにそのムサイ集団と出会え、いや鉢合わせ、いや必要以上に接近できて望み叶ったが、窒息もした。寮歌指導なんかもあって、入寮後は満喫し過ぎた。新歓コンパや樽商戦、七帝戦、追コンと、イベントある毎「援団」が表に立って我々を牽引した【後にその団長と一つ屋根の下で同居するとは思いもよらないことだった】。
http://www.yamareco.com/modules/diary/1946-detail-109617
そして京都で偶の機会に遭遇し、出ました「ムサイ援団々長」!
ここでも旧寮時代の雰囲気を今に残すこれら学校の応援合戦を子供共々、満喫した。
あの手の古臭いモノが好きな質なんだろう、ストライクだった。無い物ねだりの憧れか?
是非また見たいものだ。
自慢ではないが、私は寮生活を5年やりました。1年留年したからです。長くいた分40年経った今でも寮歌はそらで歌えます。
自慢ではないですが、私は学生生活を6年やりました。2年留年したからです。
学寮に5年ですか。牢名主?いや、まだスゴイの居ますよね。
恥ずかしながら私は寮歌集片手に歌います。
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