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2019年06月08日 05:58全体に公開

許す

 台湾遡渓時に大変お世話になり大恩ある許氏が亡くなったとの報を受けたのが右足膝靱帯を痛めた翌日、二週前の5/25だった。一週前の澤田ミノル氏といい、続くときは続くものである。
 台湾の方なので苗字の「許」を我々日本側が呼ぶ「許さん」は「キョサン」なのだが、イラストレーターのゲキ氏はこれを「ゆるさんっ!」と読んで大いにウケていたのも懐かしい。「許さんっ!」何てことを全く言わない感じの実に穏やかな方だった。
 初の訪台時の1992年から数年続けた度々の台湾滞在時には一方ならぬお世話になった。人望ゆえであろうその後、台湾遡行界の重鎮となられて大役を果たされる一方で、大いなる親日家として度々訪日されて山登りや旅行を楽しまれた。対応する茂木さん澤田サチさんはてんてこ舞いマイの大わらわだったが、海外遡行同人の我々若手はリタイヤしていないことをいいことにリタイヤされたお二人に負担を掛け続けた面も正直あった。ので、不義理を続けた昨夏の私はこれまでの御恩に報いるべく且つブラブラをいいことに半月程、許さんが引き連れた他三名の台湾隊を日本の山にお連れした。といっても夏道登山なので一緒に登っていただけだったが。
 南ア百名山イッキ繋げの計画は幸いにして?台風接近で中止となり我々迎える側の日本隊はホッと胸を撫で下ろしたものだった。代案の瑞牆山〜金峰山、そして恵那山では天候にも恵まれて無事登頂が適った。キャンプ場でカワイコチャンへの声掛けに余念なかったのも許さんらしく、私の中での陽気な台湾人のイメージそのものの方だった。この際5人の移動に使用した我が家のモビリオが、限界ギリギリの積載走行ゆえであろう、車検時に車軸の亀裂が見つかったのも今や懐かしい思い出である。許さんは百名山を中心に登っておられたにも拘らず深田久弥著「日本百名山」をお持ちでなかったので、そのお別れの際に既登の峰に赤丸を付けてから進呈したが、その数も77だかでストップした。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1571022.html
 先週、茂木澤田両氏は訪台し葬儀に参列された。かろうじて弔文に名を連ねてもらえた。
 許さんが唐突に亡くなったことは悲しむべきこと残念なことであるが、あの笑顔に免じて「許す」こととしましょう。何にしても昨夏ご一緒できたのはラストチャンスだったのだ、岐阜駅が最後のお別れの場になった。

 20代の頃、大學なんぞ辞めちゃるわいっ、てな勢いで沢登りにのめり込みんで台湾遡行後も逗留して世話になった台湾・彰化での南国の夜は何とも楽しかったなぁ。黄孟宗氏、モンキーさん共々許さんには随分と介抱してもらったものである。

 改めてご冥福をお祈りします。
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