この集落は我々夫婦がかつて暮らした場所で、退去した今もこの地を本籍地としている。
訪問前日が在住時に大変お世話になったG氏の命日で、奥方である久恵氏とその後同居する息子さん夫婦のお宅を伺い、線香をあげた。
2014年末に美濃和紙が世界遺産認定を受けて随分と賑わしくなったこの界隈だが、御主人亡き後じきに廃業された久恵さんにとってはどこ吹く風で「何ぁんも変わらんよ」とにこやかにのたまう。
1969(昭和44)年4月の重要無形文化財指定そして今回のユネスコ無形文化遺産登録を受けた美濃和紙は、和紙は和紙でも「本美濃紙」という指定要件がありまた認定区分が「本美濃紙保存会」という保持団体認定のために、真の意味での個人的ホルダーは澤村正氏を筆頭にごく限られた職人となる。
「本美濃紙」とは違って認定外であり、漉くにより繊細さの要求される「薄美濃」の名手として後藤夫妻は知る人ぞ知る存在で、名古屋の有名な紙問屋は御夫妻の漉く紙を「金錦」と称して得意先に出荷していたという。御夫妻のこれまで漉いてこられたその紙が、どれほど品質のものかを識別する能を私は持たないが、その片鱗は夫妻の暮らしぶりに滲んでいた。
いつ訪れてもチリ一つ無い広い玄関、日毎に変わる活け花、毎朝の勤行で黒々とテカる仏壇、お借りするトイレの清潔さ、手摘みのお茶の品の良い美味しさetc。
現役で漉いていた頃に訪問した際、漉き場から聞こえるリズム良い一連の工程音が、如何にも心地良かった。キンと冷えた冬の朝の空気の中で。
また温厚でありながら殊和紙に限っては自己を律する一種の厳しさを備えたその性格にハッとすることも多々あった。
加うるに、御宅の裏手には山からの清冽な水が湧いている!(蕨生集落は、板取川の還流残丘に位置する。)その水を使って塵取りをし、紙を漉く。
戦前戦後の辛く厳しい時代を生きたからこそ、喜寿間近ながら老いてなお矍鑠とした久恵氏は、表舞台に出ることこそないが(昔の教科書等に何度か掲載されていたことはある)、間違いなく今在る「美濃和紙」文化を支えた立役者の一人である。
肩書きも、ブランドも超越してただ居ることに、心震える。
「また来てちょぉ」
このような美しいお方と知己を得る幸いを知る。
その反動で(襟を正して?)帰宅して思わず床拭きの大掃除を敢行してしまった!
蕨生(わらび)集落は良いところだったねえ。地形が作る、独特のたたずまい、やっぱり水がいいからこうなんだろうか。いつまでも住み続けられればよかったのだけどね。
薄美濃というのか。工作熱が沸き起こるような質感ですね。
今日午前、過去日記帖を整理していたところなのですが、それに依りますとyoneyamaサンは、蕨生に引っ越しての来客第一号でした(2000.2.12)。翌朝、宿酔で高賀山へ。
その後も、奥様そしてyanagida氏にもお越し頂きその際、ギャッという出来事もありましたね。
紙漉きも、生業としてではなく水上勉のように趣味としてのモノづくりとするならイイのかも知れません。
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