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母が亡くなって一時間も経ずに院内から葬儀社に電話を入れていた。
葬儀の日取りの決定、親族・知人・僧侶などへの連絡、備品・返礼品・料理の手配、僧侶・弔問客の接待、お金の管理、お通夜・告別式での挨拶、葬儀終了後の後片付け、御礼、四十九日法要、一周忌などの準備と、自力ではまず無理だろう。因習、慣例等不明部分が多すぎる。
なので、依頼した。
母方の婆様の葬儀を美濃の在所(自宅)で行ったことがあったが、近隣住民の互助精神がなければ成立しない性質のものだったと思う。
生前の母は家族葬で送って欲しいとの意向だった。
私の会社への通勤路上にあって知っていたこと、また以前相談に乗ってもらった保育園時代のママ友で後に司法書士となった赤木分子氏(仮名)にも勧められたことも手伝って、プチ・フルール、いやブラン・フルールという家族葬を扱っている会社にお願いした。
GN病院へのお迎えまでの間に、看護師の中島、山田両氏が母の身体、遺体を綺麗に、また化粧もして美しく最期を飾って下さった。
早くも8時にはオールバックの後藤"ゴッサン"が寝台車と共にやって来て、母の亡骸を階下へ。
出口でやっと名刺を渡されて「大丈夫かいな、このオッサン?」とも思ったが、後に思えばこういう場では初対面時でないのにも一理あるのか。
一月と半の間お世話になった看護師の皆さんに並ばれ見送られ沈痛な面持ちで、ではなく明るく手を挙げ自宅へ。男手はなく搬送を手伝わされるのが最小限主義の現れだろう。母は無事に住み慣れた自宅の居間へ運ばれた。
翌夕の納棺、出棺までの間にゴッサンとは当日の「枕経」から遺影写真、送るための作文インタビュー、通夜食、おときの要不要、精進落としの人数と、聞き慣れぬ単語を並べ立てられては幾度も摺合せを重ねる。
私とて林業事業体の一員として、大径木伐倒から木材搬出、そして測量業務から現場標準地作成、補助金申請の為の書類作成提出と、何でも屋として仕事は手早く片付けること、100点でなくていい61点以上で!を信条にやってきたので、ゴッサンがどれ位デキる男で"水も漏らさぬ"感じかは分かるつもりだ。
葬儀屋としての職業柄、因習等々覚えるべき基本的知識がかなりの量あって、最低限取りこぼしてはいけない事項を客から聴取し、それらを確実にこなし、かつ自身の体調管理を万全にして運転ミスも許されずまた、棺を落とすなど以ての外で、時にはヤンチャで原理主義な客もソツなく相手にせねばならない。これは誰にでもできる仕事に無い。でも、これができるのは俺しかいないのだ、と。
話しているうちに、どうやらこの人が私の一つ年下であることが発覚する。また、司会の伊藤女史はこの方を「ゴトウクン」と呼ぶ。伊藤氏、私よりも年上か?それとも同年か?
山仕事ではこの手の人達が結構な割合で居たものだったが、此処でも良い意味での"抜け目ない"人達が居る。
擦り合わせの為、ゴッサンからのケータイ電話(母の物)が鳴り受信すると必ず「macchan90さ〜ん、ゴメンナサイネ〜」で始まるため「今度は何んやっ?」と毎度毎度汗を掻いたがその実、大事もなく済んだ。んわんんっ!【サザエサン】
家内との会話「ゴッサンって、語尾が”ため口”だよねぇ。」
私のような砕けた人間には心安さに通じるからいい。
これは何処から来ているのか何に由来するものかと思っていた際に、代表の丹羽氏と話して合点がいった。この人こそが、タメ口だった。いい意味で。
葬儀後、四十九日法要時にも細かな相談に乗ってもらった。
イイ葬儀社でしたよ。親類からもそう伝えられた。
お願いしてヨカッタ。
『ブラン・フルールゆう』さんに。
あ、苦情を一点だけ。
親類一同にその葬儀社名を電話口で伝えるのに毎度、難儀した。売らんフルーツ食う?だの何だのと、紛らわしいこと甚だしだった。
横文字は、殊にフランス語は田舎の人間にはチト辛い。
それを押しても、推奨します『白い花「ゆう」』さんを。
ブラン・フルールはワイト・フラワー、白い花ですね。しかしなぜフルール・ブランでないのかな。白いことが自明の花なのかな。
んわんんっ!
10年以内にうちもありそうです。
その伝で言えばブラン・モンですね、確かに。モランボン?んっ?mont-bellはイイのか。
来年こそはジャポンのモンブランへも。
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