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昨日7/8(金)は、各務原市で草刈り作業だった。日陰のない場所で陽に炙られ、腰痛をおして刈払機を振った。酷い汗を掻き、小早に切り上げて日陰で昼食を採った。市街地で仕事の際にはFMラジオを付けるのだが、ロバート・ハリスの「アレクサンドリア」を聴いた(シリアの街名にも似たのがあったと記憶する)。そこで、今し方日本で起こったテロリズムの事を知った。岐阜での板垣退助や社会党・浅沼委員長の刺殺を思い起こした。
結果、訃報となってしまったわけだがこの、私が感じた重怠いような思いは一体何に因るものだろう? テレビでのコメンテイターや有識者、著名人の判で押したような同様の発言(哀悼の意と強い憤り)に頷くものはなかったけれど、今朝の毎日新聞誌上にあった江川紹子氏の短いコメントにそれがようやく行き当たった気がした。前日の、英国ジョンソン首相辞任報道と絡めて日本民主主義の危機について書かれている。
テレビ新聞報道に対して、銃撃に至る過程を撮影した生々しい投稿動画、事件直後の血の付いた安倍氏の写真掲載や犯人の家宅捜索で保護されない個人情報の漏洩と、気味の悪い感想も持った。「映像の世紀」か何か知らないけれど、デリカシーという言葉は何処へ行ってしまったのだろう。この時代に、新聞紙上に住所まで載せてしまう意味が一体どこにあるのか?
昨晩はそれもあってか寝苦しく寝つきも悪く、そんな夜には"あのシーン"が読みたいと「虹色のトロツキー」を手にした。寒冷の牡丹江へ、後部座席で外套を着込んだ辻政信が黒塗りの車で乗り込むシーンを。どこにそれがあるのか知らずに何となくここいらあたりだろうと手にした第4巻にそれはあって驚いた。また、パッと開いたページに岸信介が現れたことにも偶然でない何かを感じた。
7/8はどんな星回りの日だったのだろう。バタフライエフェクトでもないけれど、前日の七夕に願っていたら回避できた事態だったろうか。今回の事件が、後に振り返った際に不穏な時代の幕開けだった、とならないことを願いたい。晋三氏に対してはその不幸な最期に手を合わせるのみ。合掌。
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