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https://www.yamareco.com/modules/diary/1946-detail-272091
いつもはゲキ氏の「でこでこてっぺん」を立ち読みするのみで済ませている「山と渓谷」をこの機会に全部目を通してみた。残念ながら私が読みたいと思う記事はほとんど見当たらなかった。角幡君が連載を持っていることすら知らなかった。ザクロ谷の写真二葉は良かった。P.150の岩橋英遠、不勉強にして知らなかったが、小卒で東京藝大教授というのが凄い! 北海道近代美術館は結構足を運んだ美術館だったが件の作品は目に入らなかった。「黒部渓谷」も撮った山岳写真家・岩橋崇至はその三男であるようだ(こういう繋がりはちゃんと書いておいて欲しい)。
暗くなる前に目を通し、車外に出て河畔より鵜飼を眺めた。獲物を収穫する漁撈としての熱狂は皆無で、観光と伝統の継承の意味合いが感じられた。ただ、松明の灯りが美しくはあった。岐阜にこんな観光資源があったとは。
なお、拙文は130ページに掲載されております、ちょこっと。機会あればご覧下さい。「俺は沢ヤだ」が入っていなかった!御免。
↓編集部に送付した原文デス。
志水哲也著『大いなる山大いなる谷』を推します。
ここには記録として昨今見られない、登れる確認をしに行くのではなく、登れないかもしれないけれど出向かざるを得ない二十代前半の逡巡と決断の勇気とが読み取れる。そもそも沢登りとは曲がった先にある思いがけない未知と出会う旅であり、そもそも登山とはまだ知らぬ未来の自分を発見する内省の旅ではなかったか。
番外に、大阪わらじの会々報「遡行」を、中でも重量級溯行記録の居並ぶ11号を挙げたい(現在、入手超困難)。この会報からは、登山を創る発想と自由とを教わった。
以上。
長良橋のたもとに「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」の芭蕉の句碑があります。金華山にも真夏の”ひとつば”を読んだ句碑があります。芭蕉は生涯に五度岐阜に滞在したことが記録に残っています。他所にある芭蕉の句碑の多くはそこで読んだとは思えないものが多々ありますが、岐阜のものは正真正銘の臨場感があります。
長良橋を渡った神明神社にも「又たくひなからの川の鮎なます」があります。こんど鵜飼を見る機会があったら、ぜひこれらの句碑も訪ねてみて下さい。鵜飼が2倍面白くなります。
以上。
芭蕉が観た時代の鵜飼は伝統というよりは生活に根差した行為だったはずで、観るに感興をもよおす類の漁風景だったのでしょうね。近いうちに句碑を見に行ってみます。
よく降りますね。
ありがとうございます。汗だくの暑苦しいだけで終わってしまいそうな気配ですが。
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