何で? 流石は21世紀。インタビュアーの高橋源一郎氏と同年1950年生まれといい、私の丁度20上である。(鈴木)ちなみに、同日の源ちゃんの現代国語は『ジャズ・カントリー』(著・ナット・ヘントフ / 訳・木島始)であった。
大阪通天閣にある老舗下駄屋の四代目、澤野由明氏はオーディオ好き、ジャズ好きが高じてジャズレーベル「澤野工房」を20年前に設立した。“二足のワラジ”で20年、ディスクユニオンのテコ入れで御本も上梓されたと。
澤野工房の前身は「澤野商会」である。それを知ったのが20年前の1998年初頭に出版された「black music review」1月号増刊「JAZZ輸入盤ガイド'98」(1998.1発行)の巻頭でであった。氏は当時48歳(今の私と同年だ)。
兎に角、掲載レコードが”尖って”いた。当時、(ジャズの)世間は未だ今ほどにヨーロッパ盤に目が向いておらず、ジャズ批評誌がヨーロッパ特集本を世に出し(1998.3発行)俄かにそのブームが起ころうとしていた矢先でのレコード掲載だった。私もそこそこには勉強していたというのに見たこともない欧州盤がズラずらズラリと並べてあって正直、ビックらこいた。
モニカ、ゲッツ、モンク、マイルズのノルウェー盤、瑞盤、仏盤に英国盤のタビー・ヘイズ、伊盤フランコ・トナニ、我がリタ・ライスの蘭盤は見たこともないVol.2とあるし、日本盤激レアアイテム古谷充のファンキードライブまでが掲載されている!!! 当時のこの本は他のディスクレビューを含めて余りに面白かったので未だに二冊持っている。
どうやら”同病”の弟君が欧州でガッサガッサとジャズレコードを掻き集めて日本送りしていたようで、このような在庫を誇っているとのことだった。裏山し過ぎた。
澤野工房のCDの販売は、出だしにこそ不安があったそうだが、当時のピアノトリオブームにも乗っかって(いや、当工房がその時流を作った面もある)「ヤカマしくない」お洒落ジャズを求める世の嗜好に合致して順調に販売数を伸ばしたとのことである。寿司屋や蕎麦屋でジャズが流れることにも寄与したと言えよう。何といっても当氏の「ジャズ耳」の巧者振りこそが商才であり勝因だったことだらう。
私も当時、時流に乗ってピアノトリオ盤を随分な数蒐集したもので澤野盤も購入したものだったが、今となっては菅入り(トランペットやサックス)のクインテット編成が最もジャズらしくて好みである。トリオのお洒落感は今となっては些かこそばゆい(勿論ガッツあるトリオ盤もありますが)。
CDの売り辛い時代だが、デジタルデータとしてでは無く、手ごたえある「モノ」としてのジャズを売っていきたいとインタビウを締め括っていた。
1998年の雑誌掲載当時は48歳同氏も澤野工房を興す前のことだったと記憶するが、その余りのエッジの利いたトンガリ振りに”同病”28の私も真面目に飛び込みで就職を申し出ようかと思った程だった。当時の頭の中も、今と変わらずジャズと登山のことばかりだったし、大阪わらじの会で沢登りを詰めていこうとも考えていて、心も西へと傾いていた最中だったので。
海外遡行同人の発足1998年と重なるところが、私にとってのこのインタビウを聞いた肝であった。
macchan90さん、こんばんわ。
下駄屋がジャズレーベルメーカー。。。
なんとも奇妙な取り合わせが日常のほんの片隅に
違和感なく同居するのも大阪らしいと
言えば大阪らしいですね。
先日、ひさしぶりに夕方に行ったら下駄屋の方は閉まってました。
ジャズの方はからっきしで、特に造詣もなければ、
好んで聞くというわけではありませんが、
30年ほど前に帝塚山音楽祭という
天王寺からの阪堺電車沿いにある帝塚山地区で
行われている地域のイベントに通っていたことがあります。
そこでは数店舗のライブハウスやジャズバーなどで
その時期ならではの演奏を気軽に楽しめるという催しで、
そういう下地がこの周辺にはあったのかなとも思います。
ヤマネ様
そうです、下駄屋とジャズ家という取り合わせが如何にも大阪というかアジアっぽい話で、この手の話が好きなのです。讃岐うどんにジャズだとか、宮崎地鶏ジャズだとか、関西〜四国〜九州は旅すると実に面白い発見のある場所ですね。
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