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もともと医者が嫌いで滅多に行かない。昨日、定年退職後に20年間お世話になっていた小さな会社の最後のお勤めが終わり、引き継ぎを終わらせ、今日初めて近所の医者に行った。いけば入院になるのがわかっていたので最後の仕事の引き継ぎをするまで痛くても医者に行かなかった。お母さんもお盆に帰っていたお姉ちゃんも、医者にイケイケと何度もうるさく言ったけど譲らなかった。親切で言うんだけど、覚悟してじっと痛みに耐えている本人にはありがた迷惑でしか無い。はじめは黙っていたけど最後には「煩わしい」「ありがた迷惑だ」とまで言った。きょうも医者に行くのに、あくまでタクシーも使わず付き添いも要らないと言い張り、ほとんど歩けないのに、1人で自転車こいで3分の近所の医者に行った。じっと20分ほどエネルギーを貯めたあと、かろやかにペダルをこいで坂を下った。すぐ医院から電話が来て、救急車で病院へ運ばれた。
「給料貰って勤めている間は、仕事をいい加減に投げ出すなんてことしちゃあいけない。」
「最後まで自分自身の力で生きたい、人の優しい助言はいらない」
という強烈なメッセージを放っていた。
だから、医者から、もしも呼吸困難などになったとき、人工呼吸器などの延命治療などは望みますかと聞かれ、父は死ぬべきときに死にたいと思っていると思います、と即答した。
一週間前、お盆休みのとき、呼吸困難な容態ながら姉と二人父に呼ばれて、死後の財産と母の生活費の振り方などの説明を受けた。段取りして、もう死ぬ気なんだなと思った。強気だったお姉ちゃんがべそかいたので驚いた。
死を悟るほどの痛みを受け入れながら責任を考えて耐えていたお父さん。
生涯初の入院。ベッドに寝るのも、もしかしたら初めてかもしれない。午後、肺周りにたまった水を抜いてもらい、イッキに呼吸と心臓が楽になったようで、夕方には「こんなに楽になるなら早く来りゃよかった。ここのベッドはすごく具合がいい、こんなのは初めてだ。ここは涼しくて家より心地いい」と軽口をたたいた。お父さんは京都生まれの関西人だから、看護婦さんに冗談かまして結構楽しくやるだろう。
「仕事中に抜けだして絶対見舞いに来るなよ、信用失くすぞ」と言った。今はそんな時代じゃないんだけどね。「見舞いはお断りだ。差し入れも煩わしい」。体が楽になって余裕ができるまでは行かないほうが気楽だろうな。見舞いに行く人は健康な人の側の都合でいくけど、病人にとってはありがた迷惑ってことはあると知った。
うちの家系はどのみち、代々体が健康すぎるから、医者の厄介にならなかった。お父さんもお爺ちゃんも医者嫌いだったけど、今回1ヶ月ばかり入院して、お医者や看護婦の仕事ぶりを見れば、また偏見も変わるかもしれない。お医者にしてみれば、こんなにひどくなるまで受診しない患者は珍しかったかもしれないけど、特に叱られなかった。
僕が故郷を出て33年、転勤ぐらしであちこち遠い町に9箇所住んで、やっと松本に帰ったのがこの6月。しかも夏休みがきょうまでだった。タイミングが良くて良かったとみんなに言われた。お家の一大事に間に合ったなんて、きっとツいているんだと思う。
病院は、奈良井川と田川の二俣にあり、西の窓からは奈良井川の流れが見落とせた。常念は黒い雲の中。東向きの病室からは美ヶ原と戸谷峰と鉢伏山がよく見えて、松本城の天守閣も見えた。戸谷峰の上に入道雲が湧いていた。
息子53歳。
yoneyamaさん、こんばんわ。
お父様、心配ですね。
いつの間にか自分の親がすっかり歳を取っていた
という事に私もハッとしました。
高齢になると、昨日まで、さっきまで元気だったのに急に具合が悪くなるという事がありますから
気を付けていないといけないなと思います。
私も電波の届かない山とか、自力で一日で帰って来れない様なところには行かなくなりました。
ずっと健康だった人は医者嫌いが多いですね
でも、具合が悪い中、家や身の回りの引継ぎもちゃんとやる時間が持ててよかったですね。
うちの親は少々仕事していたのですが、
すべてそのままで入院して現在に至る、、、
ですからいろいろな残務に日々苦労しています
こんにちは。
お父さんに、大拍手です。
うちの父は、だいたいそのままで死んで行きました。未だに母は、何の仕事もしないでそのまま逝っちゃったと言います。
お父様は気概のある、立派なかたですね。水抜きして体が楽になって何よりです。
ここまではぎりぎりの計算でマラソンを走りきったという様子でしたが、マラソンと違うのは、人生の終点がどこか、誰にもわからないことですね。
お父さんには、まだまだ学ぶことがたくさんあります。
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