土曜日、樽見鉄道で、根尾川渓谷沿いに入山した。車窓からは山あいの集落などにお墓が見える。過疎で、もう誰もお参りしないのかと思えば。花がいけてある。暮らしの通り道で、緑に包まれ、木立を従え、お墓も真四角ではなくて角のないそこそこ小さな石だ。昔の人の墓にはあまり文字は刻まれていないし、判別も難しい。
都会のお墓は団地のようで、つるつるに磨き上げた花崗岩に、自分の顔まで映る。お寺の境内、郊外の霊園など、舗装され玉砂利敷かれ、階段あり、お隣さんも近く、お寺に払う家賃もある。それでもお墓は建てなくてはならない。個性的なお墓もあるけど、なんだか小綺麗すぎる。近年のものは刻まれたメッセージも多い。やはり数百年もののお墓は、苔むし、角もなく、風化して美しい。
戦没者のものは日中戦争(1930年代)までは郷土の誇りとして目立つものも多い。
どれも悲しみの遺族が良かれと思って作ったものだ。
死者の死を惜しみ慕う人、弔う人がいなくなった時、お墓はいらなくなる。
都市の墓地の片隅に、お参りの絶えた墓石が山積みにされている。石材店が、墓石をトラックに積み込み、敷地をきれいに整地するところを見たこともある。
アフリカのお墓。20年ほど前に訪れた南アフリカのスワジランドの僻地で、自宅の敷地に大きな漬物石大の石が2つおいてあり、家族が裸足で歩き回るためタタキみたいになっている一角があった。小さな子どもが、「これはおじいちゃんとおばあちゃんのお墓です」という、その周りで、子どもたちが転がったり座ったりして遊んでいた。あんなお墓がいちばんいいな。
お墓なんてどうでもいい、と思ってきたし、自分のお墓もどうでも良いのですが、本当に親しい人が死んで、毎日花を手向けたいと思うのなら、美しいお墓がほしいと思うようになりました。最も死んでもらっては困る人の死を想像する余裕ができてきたのか。
東京は、土地がないので縁もない遠い土地に墓を建てます。
うちの最初のお墓は、埼玉の外れでした。
だんだんと年老いた父を連れて行くのが大変になりました。
ある年、近所のお寺さんで墓地の販売の幟を見て、
吸い込まれるように、「ここください」と気軽に買ってしまいました。
実は、ちょっと呼ばれたのかもしれません。
その年の春に父の癌がわかり、埼玉の母の墓仕舞いを終えて、2週間後父は亡くなりました。
今は二人で眠っています。
歩いて数分の距離なので、ご近所さんもたまに会いに行ってくれます。
姪っ子たちもこちらに来る時は、お墓参りをしてくれているようです。
お墓は、近い方が良いな〜と思います。
上京して数世代になっても、先祖の墓が遠い出身地にあったりなのに誰もいなかったり、東京周辺とはいえやはり関東周縁の丘陵地になったりですね。人口密集地に暮らすということは、死者との交流を我慢することかも。でも近所にあきができてよかったですね。きっとそこの先住さんも弔う人がいなくなって役目をおえたのでしょう。
素敵な日記をありがとうございます。
感動しました。
上手く言葉にはできないのですが、心で共感できました。
今日は満ち足りた気持ちで寝られそうですm(_ _)m
山登りの前後の山里の景観を見ると、普段意識に登らないことが浮き上がってきました。
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