山慣れしていない人の山案内は普段しない。山岳部上級生だった時、新人と登ったくらい。今回は相棒の松氏がぜひご案内しましょうと乗り気だったので、始めは本人も「体力なさすぎで登れる気がしない」と言っていたのに、「エキスパートのサポートで、行けるのはほぼ人生最後のチャンスだ、最後まで付き合うから」と誘うとやる気を出した。三十数年目に会ったジーコ氏は、失礼ながら完登できる可能性はない、と始め判じたが、本人の決定を待とうと、常に帰り時間と段取りを計算しながら行けるところまでと思って進む。「しんどい」とは言っても「やめる」とは言わず、結局峠に至り、夏至の日長に助けられながらも真っ暗下山となった。通常往復3時間半くらいのところを10時間。勝因は、ジーコ氏が自分の身の程とペースを知り、それを我々に惑わされず最後まで続けたことだ。
何が彼女の闘魂をそこまで盛り上げたのか?それは知的好奇心だった。水戸天狗党を知っているかな?幕末1864年に尊皇攘夷の旗を掲げて1000人の革命軍が大砲まで引っ張って水戸〜信濃〜美濃と来て、新暦で年越しの厳冬期に、雪五尺のこの蝿帽子峠を越えて、越前敦賀に出たところで幕府軍の討伐隊に水戸を出てから41日目に降参した。353人が敦賀で斬首になった。ジーコ氏は転勤でたまたま敦賀に住んで、天狗党の慰霊墓地の存在を知り興味を持ち、その足跡をバイクでたどり始め数々の訪問記をブログに書いていた。バイクでは行けないのがこの蝿帽子越えだった。
ジーコ氏をなぜそんなに峠山行に誘ったのかといえば、彼女の書く、天狗党をめぐる自分なりの視点のブログが面白かったからだ。そして、知らずに登ればただの過疎の藪山だけど、歴史の歩みを知った上で登る山登りは、全く違う風景が見える。石仏も巨樹も「魔群の通過」を見ていたのだ。私はそんな山登りが好きなのだ。それにもう一つこの峠アタックで山ドシロートのジーコ氏が、道なき日本の山で体力の限りを尽くして喘いで、どう感じ何を書くかに興味があった。なのでお誘いした。
四部作にまとめてもらい面白かった。山を歩く我々はこのように見えるのか。「私は少し悟ったよ。自由になるには体力が要るのだ」やはり、おもしろかった。違う視点、共通の情熱。同じ結論。山には自由があるのだ。天狗党もそれを求めたのだったと思う。
https://note.com/morusuke57/n/nbda3d66f8aef?fbclid=IwAR2puNkKviBS99SDLyeSq301GdF2EKg0sYqFGVHrb7VdFifRQgucNuqWcv4
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