高山病に苦しみつつ、表銀座・槍穂高縦走


- GPS
- 82:11
- 距離
- 45.4km
- 登り
- 3,486m
- 下り
- 3,427m
コースタイム
7月24日:5:45中房温泉6:00-6:35第一ベンチ-6:57第二ベンチ-7:34第三ベンチ-8:34合戦小屋8:50-10:00燕山荘10:30-11:00蛙岩-11:39大下りの頭-13:23常念分岐-14:40大天井ヒュッテ
7月25日:4:15出発-4:54ビックリ平-5:00ビックリ平周辺から槍穂高、常念、富士山など撮影5:30-6:29赤岩岳通過-6:57西岳ヒュッテ7:05-8:06水俣乗越-9:36雷鳥と遭遇・撮影-10:15殺生小屋分岐-10:50槍ヶ岳山荘11:30-12:27雷鳥遭遇二回目撮影-14:40南岳小屋
7月26日:4:42出発-5:21大キレット-6:30長谷川ピーク-7:08A沢のコル-7:54滝谷展望台-8:32北穂高小屋8:50-11:47涸沢ヒュッテ12:05-13:08本谷橋-14:30横尾山荘
7月27日:7:36出発-8:56徳沢園-10:08明神小屋-11:30上高地ビジターセンター12:10-12:20上高地BT-13:06ウエストン碑-13:15上高地温泉ホテル13:54-14:15上高地帝国ホテル15:30-16:00上高地BT
天候 | 24日:晴れのち曇、25日:晴れのち曇、26日:快晴、27日:快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
最初に24日朝、GPSを作動させたはずなのに、帰宅してダウンロードすると24日の中房温泉から大天井までのログが記録されていなかった。後から手書きで追加したが、スタートが大天井になってしまい、最後の上高地のあと、中房温泉につながって、妙なグラフになった。上高地から中房温泉までを削除し、スタートを中房温泉にしたいのだが、やり方がわからない。 合戦尾根:標高差1200m、約4kmの登山道は急坂の連続だが、休憩ベンチが3箇所あり、合戦小屋まで歩きやすい。合戦小屋では名物のスイカが人気だが、一切れが大きなスイカの4分の一もあり、分けないと食べるのが大変。燕山荘までスイカ休憩入れて4時間はCTより少し早い。 燕山荘ー大天井:しかし高山病が出てきたらしく、大天井までは苦しい登り。大して標高差はないのだが、呼吸が苦しく常念分岐から最後が非常にペースが落ちて、大天井ヒュッテまで何とか転がり込んだ感じ。 大天井ー西岳:喜作新道は稜線の少し下を巻いている道で、ビックリ平に出ると展望が開け、槍穂高連峰の威容に圧倒される。 西岳ー槍ヶ岳(東鎌尾根):水俣乗越までは急激な下りで槍方面から見ると、よくもあんなところに道をつけたものだと感心するような急激な下り。しかしこのルートのおかげで燕から槍への行程は一気に短縮されたそうだ。水俣乗越から槍ヶ岳山荘まで標高差は600m近くあり、鉄梯子などが沢山あり、体力的にもきつい登り。 槍ヶ岳ー南岳:高山病のためか、標高差はさほどではないはずの3kmほどの行程だが、アップダウンがきつく感じる。疲れのせいか、大喰岳の山頂がわからなかった。 南岳小屋ー大キレット:この下降は慎重に下ればさほどの困難はないが、岩場の下りなので慎重に進む キレットー長谷川(H)ピーク:ペンキの案内どおり慎重に進めば特に問題はない。 HピークーA沢ノコル:Hピーク直後の下りが結構きびしく、鎖と鉄の足場を使って慎重に進む。高度感もあって怖い場所。 A沢ノコル-飛騨泣き:鉄の足場があり、鎖もついて、あれっという感じであっけなく通過 飛騨泣きー北穂高小屋:悪場はないが岩場の急なのぼりなので最後まで気を抜かずに進む。 北穂小屋ー南稜ー涸沢ヒュッテ:結構きつい岩場と岩屑の急激な下り。鎖場も二箇所で最後の鎖場は足場が少なく、慎重に下る。コースタイムどおり下れたらすごいが、高山病もあって、二時間半以上かかった。 涸沢ヒュッテ-横尾山荘:残雪多し。雪渓を渡る場所が何箇所もあるが、アイゼン、ストックなくとも歩ける。横尾山荘まで来れば,後は上高地まで軽いアップダウンはあってもほぼ水平な道。 喜作新道について(Wikipediaより): こばやし きさく 小林 喜作 生誕:1875年??月??日 長野県南安曇郡西穂高村(現在の安曇野市)牧 死没:1923年、黒部峡谷の棒小屋沢の猟小屋 死因:雪崩による窒息死 職業:猟師(カモシカ・クマ)・山案内人・殺生ヒュッテの経営管理 著名な実績:喜作新道の開設やガイドなど多数 活動拠点:北アルプスの山中 1875年(明治8年)長野県南安曇郡西穂高村(現在の安曇野市)牧に生まれ、17歳からカモシカ・クマなどの猟師をしていた。息子の一男と共に大天井岳から槍ヶ岳に直接至る東鎌尾根に喜作新道を開設した。鍬・鶴嘴・鳶口・手斧などを用い人力で、1917年(大正6年)に工事を開始し、1920年(大正9年秋)に完成させた。 |
予約できる山小屋 |
|
写真
感想
初めての北アルプス、これまで人ごみを避けて毛嫌いしていたが、今回北岳登山後、左上の奥歯の付け根が折れていて、余り重量のある荷物を担ぐなというアドバイスを歯医者から受け、軽い荷物ですむ小屋の多い北アルプスを歩くことになった。
夜行バスで表銀座登山口の中房温泉から歩いたが、睡眠不足からか、燕岳から大天井に向かう途中で高山病にかかったようで、呼吸が苦しくなった。また北岳登山後にわずらった歯茎の腫れ(歯の根が折れていた)で3週間休養を取るが、その間、洗った靴の中敷を干していたのを入れ忘れ、途中で気づいたが遅かった。燕山荘には靴は売っていたが、中敷はなかった。しかし、クッション性は悪いが、紐をきつめに締めて、なんとか歩ききった。また撮影用にオリンパスペンとコンデジの二台を使ったが、コンデジが途中で壊れてしまい、多くの写真が写っていなかった。トラブル続きの山旅となった。
高山病は、睡眠不足や体調不良のときになりやすいといわれている。やはり夜行バスで初日にペースを上げすぎて3000m近い稜線上で、酸欠状態に陥ったらしい。
24日(火)、早朝6時前に中房温泉に到着し、夜行バスでもある程度寝れているので、体調は悪くないと思った。6時頃に出発し、合戦尾根を登る。一時間余りで第二休憩所、ペースが少し速すぎたか?さらに30分で第三ベンチ、またさらに一時間、8時半に合戦小屋に到着した。コースタイムより20分ほど早い。あるいはもう少しゆっくりペースで入るべきだったか?ここで合戦小屋名物のスイカを食べて、燕岳を目指す。合戦小屋の手前から大天井方面が見え始めたが、やがてその右側に槍の穂先が見えてきた。合戦小屋から一時間20分くらいで燕山荘に到着した。ただし、ペースが少しづつ落ちてきた感じ。呼吸が少し苦しい感じがした。
小屋の手前ではミヤマクワガタやシナノキンバイ、ヨツバシオガマなどが咲いて癒してくれる。また小屋の上にはコマクサの群落が広がり、ここから大天井までコマクサの群落が続いている。白花コマクサなどの花を撮影し、10時20分過ぎに出発。小屋には残念ながら靴は売るが、中敷はなかった。槍穂高まで先が長く、燕山荘まで出やや疲れを感じ、体力を温存するため燕岳には向かわずに大天井まで急ぐことにした。
コマクサの群落を左右に見ながら、また右側に鷲羽岳などの裏銀座を見ながら大天井に向かう。蛙岩(ゲーロ岩)を過ぎ、大下りに11時39分、到着。合戦尾根のペースが速かっただけにペースダウン、コースタイムより時間がかかっている。
来る前に読んだ「いまだ下山せず」はこの表銀座から冬の槍ヶ岳縦走に挑んで悪天候にあって、大天井から常念に向かい、さらに猛吹雪で一ノ沢に下って雪崩にあって遭難したグループの捜索の記録だったが、この長く苦しい道を冬に歩くことの厳しさを思いながら歩く。しかし次第に呼吸が苦しくなる。常念分岐には13時22分着、コースタイムより10分ほど遅れている。途中で知り合ったハイカー氏はここから常念に向かう。この手前で別れ、ヒュッテ方面に向かう。しかし呼吸が苦しくなり、ペースがさらにダウン。大天井岳の山頂を巻きながら鎖場の連続する道をたどるが、45分のコースタイムだが、なかなか小屋が見えてこない。深呼吸をするためにたびたび立ち止まりながら、45分のCTのところを80分かかって、ようやく大天井ヒュッテに転がり込んだ。おかしいーー体力が著しく奪われて体のあちこちが痛い。このときはまだ高山病との自覚はなく、単なるバテと思っていた。
小屋出宿泊の手続きをして、部屋に入り、着替えて乾燥室で脱いだ服を干し、外の休憩所でビールやウィスキーを飲みながら他の宿泊者らと四方山話。「いまだ下山せず」のこのコースの遭難の話や、自分の冬の丹沢での滑落などの失敗談を披瀝したリーー。あちこちの山の話から、新潟の山の話にーー。新潟市で農家をしている若いハイカーは意外と新潟の山は登っておらず、私が粟ヶ岳や宝蔵山などの話をすると、驚いていた。その若い農家ハイカーは重い三脚を持ち歩いて撮影に余念がない。夜は星空を撮影していたらしい。小屋の夕食をたっぷりいただき、早めに就寝して体力回復に努める。
翌朝は持参のコンビニ弁当などで早めに朝食を済ませ、4時15分には出発。まもなく明るくなってヘッドライトもいらない。西岳に向かって喜作新道を進む。すぐに後から出発した新潟ハイカー氏に抜かれる。昨日初めにやや飛ばしすぎたので、今日は少し慎重にゆっくりペースで歩く。
4時54分、小屋から40分でビックリ平に出る。昨夜、ここまで歩いてクロユリを見たという女性の話を思い出したが花は探せど見つからない。少し進むと、いきなり槍ヶ岳から穂高連峰が目の前に現れた。早朝、少し青空も見えている中で、素晴らしい稜線の風景に圧倒される。しばらくオリンパスペンで撮影しながらゆっくりと進む。後ろから新潟ハイカー氏が現れ、ビックリする。少し上の方に登って撮影していたらしい。富士山や八ヶ岳も見えるという。ゆっくり進んで少し小高い場所に出て眺めると、富士山はすでにガスの中。青空もすぐに少なくなり、雲が多くなる。梅雨明けとはいえ、シベリアの高気圧の勢力が太平洋高気圧を上回り、やや寒気が入り込んで天候が今ひとつということらしい。
風景撮影が一段落し、タカネヤハズハハコ?、ハクサンフウロ、ハクサンチドリ、シナノキンバイなどを撮影し始めると新潟ハイカー氏は先に進んでいった。赤岩岳が見えてくると、さらにその左後ろ側に前穂高と涸沢のカールが現れる。そのほか、稜線の少し下に作られた喜作新道を進むとお花畑が続き、赤岩岳の直下を通過し、ヒュッテ西岳には7時前に到着。ここまでは、撮影に時間を取った割にはコースタイムよりやや早め。
小屋前で一息入れ、水俣乗越に向かう。小屋から鋭角に右に曲がり、300m近い標高差、鎖場のある急斜面を下り、一時間で水俣乗越に出た。8時5分頃、西岳ヒュッテから1時間かかった。途中、タカネシオガマやトモエシオガマなどを見た。乗越では上高地から7-8時間かけて登ってくる人、槍から東鎌を下って、ここから上高地に下る人もいる。帰りのバスで、上高地から登ってきたグループとであった。厳しい登りだったという。
東鎌尾根は名前の通りの厳しいヤセ尾根。乗越しからは北鎌尾根への取り付くルートもあるようだ。鉄梯子や鎖場の続く厳しい登りだが、途中までは比較的快調に歩けた。しかし槍に近づくほど、昨日と似たような状況になり、呼吸が辛くなり、ペースが落ちる。9時13分、ヒュッテ大槍まで40分という案内板。そこから20分くらい先の登山道脇でライチョウを見かけた。しばらく観察し撮影。愛らしく人を恐れない鳥だ。
10時頃ヒュッテ大槍を通過したはずだが、撮影したコンデジが壊れて、何も写っておらず、正確な時間がわからない。ヒュッテは工事中だった。さらに殺生ヒュッテの上を10時15分頃通過、最後は苦しい登りになったが槍ヶ岳山荘には何とか10時50分頃辿り着いた。さすがに槍沢、殺生ヒュッテ方面からは大勢のハイカーが登ってきて、山頂は満員だ。山荘前には新潟ハイカー氏が休憩中。10時10分くらいには到着したようで、40分も早い。こちらは軽い高山病でペースが上がらなかったので仕方ない差だ。
体調が思わしくないので、小屋でラーメンを注文して体を温め、おにぎりの残りも食べて体力の回復を図る。槍の穂先には向かわず、南岳小屋を目指した。山頂登頂を断念したのは残念だが、体力を温存し、大キレット越えまでは完遂したいという気持ち。槍山頂は次の機会の楽しみに取っておこう。もし登ると、南岳に向かう体力が失われそうだったのでーー。
カメラが壊れたので正確な時間が一部わからなくなっているが、槍ヶ岳山荘を11時半前に出発し、大喰岳、中岳の苦しいのぼりを越えて、南岳方面に向かう。12時半過ぎ、大喰岳手前で再びライチョウと出会う。今度は多くの雛を連れて雪渓の脇を集団で歩いて餌を探している。親鳥のクゥーという低い声がかわいい。
槍の喧騒から離れ、人影は大分減ってきた。呼吸が苦しく、登るのがやっとになり、大喰岳のピークもわからなかった。中岳は道標を発見し、そこから左に折れて雪渓の周りを迂回し、天狗原分岐には多分2時過ぎに出たと思われる。ペースは遅いが、CTは2時間半なので、それほど遅れてはいないようだ。
傾斜は次第に緩み、南岳を過ぎて小屋が見えてきたときはほっとした。2時40分頃、小屋に到着するとぐったり。チェックインして、小屋の裏の小山に上り、ケータイで北穂高山荘にTELして予約を取り消す。AUだとこの小山の上からだけ通じるらしい。ここは大キレットへの下降路の入口でもあり、キレットから北穂の岸壁を展望できる場所でカメラを陣取っている二人が見えた。ガスが晴れるのをじっと待っているらしい。
小屋に戻って部屋に入り、着替えをしてきたものを乾燥室で干す。ビールを飲みながらリラックスし、話をする。小屋の入口で若いハイカーに大キレット越えは今日槍からの道と同じようなものか、と尋ねられ、驚く。全く厳しさが違うので、準備がないなら止めたほうがよいとアドバイス。夕食をたっぷりとって体力回復に努める。夕食後、談話室で飲みながら、キレット越えと下山コースを再検討。話をしていた初老のハイカー氏からウィスキーをいただき、四方山話。キレット越えやジャンヌダルム越えなどの話になり、下調べを余りしないで気軽に来ている人が結構いることに驚く。新穂高温泉方面に車を置いて、ここから西穂を越えてケーブルで下るのを一般コースと勘違いしている人もいたが、皆に止められていた。一旦上高地に下って車で新穂高に戻るのがベストという意見が多かった。
夜、就寝中頭痛があり、もしや高山病かとこの時点で気づき始める。足も体も痛い。明日は大丈夫だろうかーー不安がよぎる。
26日、4時前に起床、着替えて朝食準備。小屋のお湯を使ってインスタント味噌汁で残りのコンビニ弁当を流し込む。かなり水気がなくなっていて食べにくい。ヘルメットを装着し、4時40分過ぎ、出発。4時過ぎに出発を考えたが、キレット下降は暗いうちは止めて置くべきと小屋の人に言われ、従う。すでに夜が明けて明るい。ヘッドランプなしに下降を始める。同じくヘルメットをつけた若い女性ハイカー二人国と一緒に下る。鎖や鉄梯子などが沢山ある急下降だが、慎重に進めばさほどの危険はない。もっと早く出発しても問題なさそう。
カメラが壊れて正確な時間がわからないが、おそらく1時間弱、5時半前に大キレット、6時半前には長谷川(H)ピークに到達したと思われる。Hピークまでは特に危険を感じるような箇所はなかった。一呼吸入れて出発し、Hピークを下る。ここはかなり高度感があり、険しい岩場のトラバースがあって、緊張する。実は、この手前で、高山病のせいか、
頭が少しボーっとしてクラット、体のバランスを崩す場面があった。これは危険だと、気持ちを引き締め、落ちないように気を強く持つよう心がける。Hピーク下降を無事こなし、A沢のコルに出る。女性ハイカー二人もHピーク下降でかなり苦労していたが下ってきた。すでに後から来たハイカー数人に抜かれたが、体調を考え、急がないことにする。A沢コルで休憩していると北穂側からグループが降りてきた。女性ハイカーと同じグループのメンバーらしく、声を掛け合って話し込んでいた。
先に出発するとミヤマオダマキの他にクロユリも現れた。クロユリを撮影し、癒される。別の女性ハイカー二人組みに話しかけると後は北穂まで登るだけで飛騨泣きはHピークの下降だと言う。しかし実際は、A沢コルの先の鎖のトラバースで少し先だった。いずれにせよ、鎖と鉄の足場があり、あっさり越える。特に危険は感じられない。7時過ぎ、Hピークを見下ろすと多くのハイカーが登下降しているのが見える。かなりの高度感だ。
呼吸が苦しいので、深呼吸を繰り返しながら一歩一歩進む。7時54分頃、滝谷展望台に出る。撮影。すごい逆層の垂直の岩場。滑落遭難の多いこともうなづける。滝谷を避けて左側に回り込むような苦しい登りを経て8時半過ぎ、北穂小屋に到着。
ここまで南岳小屋から4時間弱。CTとはさほど違わなかったので、体調を考えると悪くないペース。北穂小屋でコーヒーを飲み、休憩しながらここから奥穂には向かわず、南稜から撤退することは、ほぼ昨夜決めていた。これ以上の登りは体力の限界だ。小屋の人に尋ねると、涸沢まで下れば高山病はたいてい治まるという。
コーヒーを飲んでいると途中まで一緒だったヘルメット姿の女性二人組みがやってきた。挨拶をしてここから撤退することを告げる。奥穂まで行ってゆっくり小屋どまりの人が多いようだ。9時前、下山開始。北穂山頂9時通過、北穂・涸沢分岐を9時15分頃通過。南稜を下る。
結構な急傾斜の岩と岩屑の歩きにくい道。下に涸沢ヒュッテが見えてくるが、遥か下方だ。なかなかピッチが上がらず、近づいてこない。お花畑を過ぎて鎖場を通過、下の小びろい場所に男性二人、監視員の若者二人、まだまだヒュッテまで30分じゃつかないといわれる。鉄梯子を下り、次の長い鎖場を過ぎ、ひたすら岩屑と岩場の道を延々と下る。途中鎖に降られて、岩場で足を打ちつけ、膝下に出血。大した痛みはないのでそのまま進む。高山病や疲労で呼吸が苦しくペースが上らず、結局、北穂小屋から2時間半以上かかって12時前、なんとか涸沢ヒュッテに到着。CTでは北穂ー涸沢間100分とあるが、よほど体調がよくないとそんな早く歩けそうもない。
ソフトクリームを食べて休憩し、しばし思案。こんなに遅れては上高地の予約しているバスの時間に間に合いそうもないかーー。トイレを済ませて出発。まず横尾を目指す。本谷橋までは雪渓を何度も渡り、それなりの傾斜もある下り。何とかバスに間に合わないかと苦しい体でもがんばってペースを上げる。高山病は何とか治まったようだ。本谷橋の手前、すれ違うハイカーの中に、前回北岳で一緒になった長野出身のM氏とばったり出会った。梅雨明けの好天気を狙ってきたという。また連絡しあうことを約して別れる。
本谷橋には13時過ぎに出る。予定より1時間近く遅れている。ここで少し補給(残りのお団子とバナナ)をいれ、水を補給するも、このあたりの飲めないという札。しかしほかに水はない。この日はものすごい快晴で日差しが強烈。日焼け止めクリームを入れ忘れ、顔や手がやけどをしたようだ。北穂小屋で購入した水も底を尽き掛けている。警告を無視して水を補給。大勢のハイカーが休憩している。横尾に向けて急ぐ。
足早に歩くが、バスの時間は容赦なく迫ってくる。横尾の手前で荷を下ろして休憩すると一気に疲れを感じ、体はこれ以上がんばれないといっているよう。靴底のごみを出し、再出発しようとするが、なかなか腰が上がらない。もうこれ以上は無理そうだーー。なんとか横尾まで出て橋を渡り、山荘に入り、ここでもう一泊することにする。
チェックインし、小屋に相談すると小屋はケータイは通じないが公衆電話があるので、バスのキャンセルや予定変更の交渉に仕えるという。ありがたい。テレフォンカードを買って、毎日旅行に電話しようとチケットを見るが、電話の先が書いていない。仕方なく、別紙にあるアルピコ社の上高地事務所に電話する。電話をしていると、横浜から来ている女性ハイカーがそばに来て、やはり仲間が高山病で予定が遅れ、明日、同じバスの14時上高地発、新宿経由横浜行きバスの二席がキャンセルになるという。そのキャンセル分を使えるかどうか、相談した。アルピコ事務所に電話して相談、毎日旅行社の電話を教えてくれたが、電話番号が違うらしく、つながらない。そこへ、また別の男性が近づき、松本電鉄(アルピコの親会社)の社員の人で、松本電鉄の新島々駅に電話しろという。電話すると端末がないので直接助けられないが、そちらからもアルピコに連絡してサポートしてくれると心強い。アルピコ上高地から山荘に折り返し電話があり、山荘の電話で受け、毎日側にも連絡し、まだ交渉中という。アルピコはバスの運営会社、毎日は旅行企画の代理店だ。横浜の人からはバスのキャンセルをしてよいかどうか確認を求められ、私はキャンセルを早めにするよう勧める。代理店がJTBなので、代理店が違い、別の人物がその席を入手するということは話が複雑すぎてうまくいかないと判断。その後アルピコから三度電話があり、翌日早めのバスは取れないが午後4時半の同じバスの席が取れたと連絡があった。しかも新たな費用は生じないという、ラッキー!!関係者に深謝。
帰りのバスが確保できたので、着替えて荷物を整理し、明日の予定を考える。朝食取ってゆっくり出発しても上高地には昼前には着く。バスの時間までの4-5時間をどう使うかーー山荘のパソコンで上高地の食事、温泉、散策、観光地などをチェック。山荘スタッフにもアドバイスを得た。ます7時過ぎに出発し、バスターミナルでチケット関係を確認し、荷物を預けてまずウエストン碑から清水屋ホテルか上高地温泉ホテルで温泉に入り、時間と体力があれば大正池を散策し、帝国ホテルで食事してBTに戻るという案。
翌日、7時半過ぎに出発し、徳沢園を通過し、10時頃明神館で休憩。ブルーベリージュースを飲んで上高地に向かう。やはり疲労がたまっているようで、足が進まない。多くのハイカーに追いつき追い抜かれるが、もう無理しない。ゆっくり山や花を撮影しながら11時半頃、ビジターセンター到着。センターに入館し中の資料を見たり、上高地の映像を見たりして30分ほど休み、12時過ぎにバスセンターに到着。
バスのチケットを確認し、荷物を預けて河童橋を渡り、ウエストン碑に向かう。撮影した映像は皆カメラの故障でだめになった。ウエストン碑に13時過ぎにつき、撮影して上高地温泉に向かう。清水屋ホテルの温泉は2100円、隣の上高地温泉ホテルは800円、内容に大きな違いがなさそうなので、上高地温泉に入る。温度調整で加水はしているが掛流しとある。特に白濁した源泉の大きなタルのお湯がよかった。
二時前に上高地温泉ホテルを出て帝国ホテルに向かう。アルペンローザでオムライス(+ハッシュドビーフ+デミソース)を食べ、ホールでブルーベリータルと(季節のケーキ)とコーヒーをいただいてくつろぐ。すっかり散財し、気分よくBTに戻り、その日の夜帰宅した。いろいろトラブルの多い山行だったが、天気もよく、予定コースの大半を歩き、コンデジは壊れたものの、オリンパスペンで稜線や花を撮影でき、上高地も楽しみ、幸運な旅だった。
コメント
この記録に関連する登山ルート

いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する