http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-365134.html
全6回の山行を連ね、その全距離は片道で42km超という長さ。
実は私もnori3様の影響を受けて去年はずいぶんこの道にこだわって探索などしたのだが、今年はすっかりサボってしまった。いつまでも地道にテーマを追い続けて達成されたnori3様の前で頭が上がらない。
そこで、nori3様の偉業を記念して、鳳凰山に続いて「甲斐国志」から金峰山の項をご紹介したいと思う。
長いので一部の抜粋だが、今とほとんど変わらないコース状況で、いにしえの人々がこの山に登拝していたことがわかる。
このルートは、あまり知られていないが良く整備されていて決して歩きにくい道ではない。水晶峠から上の部分なら片道4時間程度で登山できるので、ぜひ多くの人に歩いて「本当の金峰山登山」を味わってもらいたい。
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金峰山
(前略)
その上は苅合なり。万力、西保、杣口より登山の道二条、黒沢山北にて荒川を渡り各々これに会す。
毎年八月、両道より草苅を苅り道を掃いてこれに会す。故にこの名ありという。
これより御室(おむろ)に至る1里、その間黒木立にて下草は箸竹(=熊笹)なり。
日陰、葛、万年杉等を生ず。日ノ御子沢、丸石沢あり、合して東流す。水晶嶺に小石英、燧石(火打ち石)等を産す。
御室川を渉りて御室神社に至る。
社前に番所あり、四架七梁にしてその当中を神門とす。左右に厨竈の儲けありて道衆の休宿に供す。西に浴室あり東に○房(かわや)あり、御室神社より山宮に至るおおよそ50丁坂下に第九華表(=鳥居)を建つ。
これより路、すこぶる峻険なり。断崖に鉄鎖を下して之を登攀する者二所。また大梯を施す処あり八ッ子梯と名付く。
これを上がれば道傍に隻手(=片手)回しという数丈の巌あり、側に勝手明神の祠を置けり。籠守神は御室の西数丈の突巌上の円石を祠るという。また丸石と字するは巌頂に一円石を戴く皎白にして美なり。
聖厳は道士の笈を負いて山に登る形に似たり。四五相連れり。その他奇巌怪石一々名状すべからず。
おおよそ御室より上の巌石は他山と異なり満面の巨岩、椅畳して山となるがごとし。
木々、巌間より生ずれども風雪寒烈なる故、老大屈曲して長じ難し。たいてい、もみ、つが、からまつ、とうひ、しゃくなげ、つつじ、いぬひの類なり。
天狗の社、児(ちご)の吹上という所を凌ぎて窮髪に達す。
その絶頂に特立する一大巌を御影石という。高さ25間、横18間。その巌の南面に椅傍して神祠を建つ。これ即ち山宮なり。また本宮ともいう。
(後略)
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旧漢字、旧仮名遣いは自己流で直していますので多少誤りがあるかも知れませんが、ご容赦下さい。
いろいろ充実した資料をありがとうございます。
おかげで、単に地図を見て登るのと違い、いにしえの世界を想像しながら歩けました。なんというか登山の仕方の楽しみの幅が広がっている気がしております。
今はどこの山へ行っても、自然と山や道の背景・文化を想像しながら歩くようになりました。
改めて拝読させていただき、まさに、文章と同じ景色が目に浮かびます。
水晶峠からはホント整備され一般道と変わらないですね。
このルートは人気の稜線から登るコースと違い、五丈岩がより印象的、また金峰山の大きさを感じられるいいコースでした。
ここに誰もいないのはもったいないです。
難解な文章解読ありがとうございました。
こうして江戸時代の文章を読むと今と地名がほとんど変わらないのに驚きます。
「万力、西保、杣口」。「日ノ御子沢」は「「神子ノ沢」だし、「荒川」は今も同じ。「児(ちご)の吹上」が「千代の吹き上げ」になってしまったのも面白い。
こうして見ると「山宮」というのも意味深な地名ですね。
以前、千塚小学校の校庭に出た遺跡の見学会に参加しましたが、こんな風にあちこちに「塚」があったなら確かに「千塚」だなあ、と感じたことでした。地名には謎解きがあって本当に面白いです。
自分が歩く同じ道を昔の人もわらじ履いて登ったかと思うと味わい深い。御室小屋に食堂、お風呂とトイレがあったなんてのも痛快です。
こんな道、本当に皆さんに歩いて欲しいですね。
「万力、西保、杣口」とありますが、今の万力公園から140号線を北上し牧岡(西保)〜(乙女湖)柳平〜という感じのアクセスなんですね?
そうなると、昔だから稜線沿いに小楢山(峠)も通って行ったんでしょうね〜?わらじで
「二条黒沢山北にて荒川を渡り」の(二条黒沢山)←ここがどこなのかわかりませんでした。
いずれにしても甲府から金峰山までは大変遠い道のりですねー(今でも!)
山梨の地理をよくご存じですね。甲斐国志に興味を持って頂きありがとうございます。
確かに万力は今の万力公園あたり(R140号周辺)のことです。
現在、ここから北上すると「牧丘トンネル」手前で左に分岐するのが「西保」方面、トンネル通過後すぐに左折して山に向かうと「杣口」ですね。
車で大弛峠に向かうときには杣口から登るのが普通かと思いますが、杣口の集落の上部に金桜神社があります。
これはこの道が登拝道だった証ですね。
この両方の道(二条はふたすじという意味でしょう)は小楢山をを左右に巻いたあと柳平で合流して(ですから、ここが昔「」苅合」という地名だったのでしょう)、「黒沢山」、つまり現在「倉沢山」と呼ばれる山の北で荒川を渡る、という地点は「アコウ沢」の所(現在も登山道)だと思われます。
nori3様の方は、甲府からのメイン道をたどっているわけです。
甲府から本当にたどるととても一日では登り切れないですから、黒平やその先の御室小屋で一、二泊して登ったことでしょうね。
いま、この道の片鱗を味わうなら大弛林道アコウ平から登るといいです。(それが本文に「水晶峠から上の部分なら」と書いた部分です)
私の記録も参考にどうぞ。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-237393.html
金峰山はこのルートが正面玄関ですよね。僕も自宅の千塚カムナ塚から歩いて行きたいという夢を持っていました。昨年、黒平から、はじめ渓谷沿いからですけど行きました。五丈岩がぐんぐん近づく後半は凄く良かったです。
江戸時代でなくとも田部重治もたしか開通したばかりの甲府駅から歩いてますよね。昇仙峡辺りで一泊して。
いつも甲斐国史の引用や紹介ありがとうございます。
千塚の北にある山宮にある古い神社、大宮七社明神は、その上にある天狗山の積み石塚(荒木神社)を祀ったものなのでしょうか。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-274984.html
そうでした。yoneyama様もこの表参道を歩かれていましたね。
「五丈岩がぐんぐん近づく後半は凄く良かった。」まさに同感です。この景観こそ、このルートの醍醐味ですね。
甲斐国志を読むと、「断崖に鉄鎖を下して之を登攀する者二所。また大梯を施す処あり。」など現在と全く変わっていないのに驚くほどです。山頂の大岩がなぜか「御影石」と呼ばれてて、いつどうして「五丈岩」になったのか不思議です。
ところで下記のサイトを読むと「羽黒」「山宮」「千塚」あたりのことがわかります。
「山宮」とは「大宮七社明神」が由来だとのこと。金桜神社じゃなかったですね。
http://www.city.kofu.yamanashi.jp/favorite/tobidase/05feb.htm
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