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サハリン(樺太)から、ひとつながりだったことを前提にすることで、
より真実味のあるストーリーを描くことができます。
( 定説の「観音開き説」でも、北海道と黒瀬川帯のなりたちについては、描かれていません。)
図1: 250Ma以前の、一次変動前の列島の姿。
図2: 250Ma変動後(独自の隕石落下による日本海陥没)の列島の姿。
図3: 25〜15Maの、第二次変動後の列島の姿。
・ 図1の変動前の姿に、今回の「北海道と黒瀬川帯」を、サハリン(樺太)につなげた、
ほぼ南北に細長く連なった姿を描いてみました。
・ その後250Maの隕石は、オホーツクから日本海までの、
一つながりの痕跡を残し、
その通過中心に、北海道が位置していたため、
従前の東北とは「逆トの字形」つながっていた北海道は、
その配置関係を保ったまま「反時計回りに120度回転」した。
・ 西南日本との位置関係が「ハの字」なることで、
それ以降の三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の付加体の形成において、
西南日本では西から東に成長、
東北日本では(現在の)北から南にかけて成長していった。
・ その後、ずっと北西向けだった太平洋の海洋地殻の上層の移動方向が、 25Maから、「真西」もしくは「西南西」に変化したことの影響から、 北海道と連なる東北の位置関係のままで「時計まわり」に押し戻されて、 現在の位置関係になるまで、10Myほどかけて「接合」した。
( その接合時の圧力のしわ寄せからの変動で、
北海道西部、東北西部、フォッサマグナの南北と、西南日本の北部に「現在のグリンタフ帯」を形成。
その後、伊豆諸島の本州への衝突(接合)を経て、現在に至る。)
・ さて、上記のストーリーで、唯一、北海道と黒瀬川帯をサハリン(樺太)まで一つながりの
イメージで、違和感のあった、現在東北の東には、それに該当する地質がないことでしたが、
図を書き進めるうちに、理由に納得できる日本列島のなりたちとなった。
( 日本列島の成り立ちを2パターン書いたのが、昨年の8月…、
1年が経過して、自分の中では、オホーツクと日本海をつなげた、
大隕石の爪痕説のほうが真実味がでてきたように思う。)
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参考日記URL:
<北海道地史> 北海道と樺太の地質構造の共通点。
https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-306120
<北海道の地史> 東北の曲がりは北海道西部と同じだった?
https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-305155
西南日本 「黒瀬川帯」の謎。
https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-299245
東北日本 ハの字開裂と20Ma接合の「2段階変動」
https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-298636
間違いだらけの日本地史と、東北日本の「謎」
https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-298391
新説日本列島: 2つの日本海、正解はどっち? 2022年08月17日
https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-277211
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