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登場人物の一人、主人公平野勇気の居候先の主である伊藤英明(岐阜出身)の役名が「飯田 与喜(ヨキ)」だった。
【残念ながら映画中の飯田与喜の伐倒術は50点位のモンだった。某氏はちゃんと技術指導せなあかんぞ、見る人はキッチリ見とるでなぁ。】
ヨキは「斧」の意で、伐倒時に楔(矢;ヤ)を叩く道具としての斧を指す。今では焚き物の薪割りにしか活用されないが。
映画の舞台は三重県だったが、ここ岐阜でも「オノ」と言わずに「ヨキ」という(方言には当たらないとの説もある)。
今でこそそんな役割に甘んじているが、林業の世界ではチェーンソー登場までは枝をハツったり、受け口(パックマンの口)をヨキで掘り、追い口に大鋸(ダイギリ)を入れた上で差し込んだヤを叩く重要な道具だった。
ヨキは伐採師にとって魂の次に大事なもの、だろう。登山者にとってのピッケルと同様か。
このケチンボな弊社ですら社内経費で買って貰えたものの私はそれを拒み、会社の支給品としてではなく個人的私物として稼いだ金からこれを支払った。唐鍬(トグワ)然り。
とはいえ、金物屋で購入するようなお安いことはしない。
そこは親方のキヨッさに仲介してもらって、この地方で伐採の神様と言われたレジェンド・エサキトミジ氏(先日キヨッさに言われて車中よりお見掛けしたが、ただの禿げたオッサンだった)より、かつて使用したが今は使っていない軽めのヨキの頭(刃)を分けて貰った。値段が判らないこともあって、当時の日当の何分の一かをキヨッさに手渡した。そして柄はそのキヨッさが挿げ替えてくれた。
その甲斐あってか、あれ程に危険な日々を通過しながらも無事故でやり過ごすことができた。
果たしてこのヨキで何百本何千本のスギヒノキを伐倒したことだろう。
未だ過酷で辛い日ばかりが思い返される。
将来に備え、今度はキヨッさの親方シゲさに重めの頭を譲ってもらいキヨッさに柄を挿げてもらった二本目のヨキも準備してある。
『日本書紀』、『先代旧事本紀』の記述から、「五十猛神(イソタケル)」が林業の神として信仰されているのだが、その神を祀った和歌山の伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)には是非一度参りたい。
これら二本のヨキを携えて。
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