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いや、洗濯物が乾くので。
早起きはいい。あれこれ仕事が捗る。
薪ストーブも、もう早片付ける時節だ。
四十九日法要が済むまでは母の遺骨の置かれた階下隣室に私が寝て、外四名は二階で寝る暮らしが親父の徘徊引取り以降暫く続いていたのだったが土曜にソレも済み、日曜から入れ替わって私が階上、外四名が階下へ。
故に早朝、階下で薪ストーブかまったりオサンドンしたりするのに割合気を遣うようになった。
そんな家内でもテレビのない我が家は音楽を掛けるでもなくNHKラジオ第一をのみを聞く。
民放も、FM局も聞かない。
随分以前に経験した、大学教授家庭【弘前大、早稲田大、鹿児島大、東京海洋大】にしかあり得ないような朝の風景が、今や我が家の朝と同調しているのが俄に信じ難い。
『はい、わたくしはテレビは観ません。唯一聴くのがNHKラジオ第一です。』
しかし皆さん、テレビを視聴する上ツイッターやらフェイスブックやらメールやらラインやらスカイプやらYouTubeやらDVDやら映画やら、その上ゲームやらデートやらグルメやら宿題やら残業やら読書やらクラックやらハイボールやらフリーソロやら沢登りしたりするんだから一日の時間の使い方、一体どうしているのか不思議だ。
一度、東横線で右手にスマホ、左に本、耳にイヤホン口にパンという(もう一オプション有った気がする。鼻?)ギョギョギョな兄ちゃんを見掛けて危うく「ソレどうやってやるの?」若しくは「パンよりハーモニカの方がナウでイイよ」と声を掛けそうになったが、驚く程のことでもないのだろう、大都会では。
私なぞ薪割りで手一杯だ。
時に、ラジオの受信料は? テレビに含んでいる?
そんな中「音楽です」と、
●5:22;「朧月夜」が掛かり、胸が熱くなった。
何故だか判らないけれど、私はこの歌に強い哀感だか郷愁だかを覚えてしまうのだ。
偶に山で一人ジャジーにガナって一人涙する一曲である。
そんな最中、寒気由来であろう風と共に一陣の驟雨がザザッと降ってトタン屋根を鳴らした。
そして次に、
●5:34;高田 渡「自転車にのって」が掛かってズッコケそうになった。何で?
春だから、で済むのだらうか?
すっぽん、いや「すっぴん」や「ごごラジ!」なんかは、その日のテーマに合わせた唸ってしまう様な選曲が有るけれど、殊「マイあさラジオ」に関しては意味不明、である。
アトランダムに過ぎる。
海洋大学以前の商船大学には「俺は酒は飲むがテレビは観ない」と妙な自慢をしたがる先生がゴロゴロいました。女子に門戸を開き、水産と合併してから、オサカナ先生のような賑やかな先生の多い学校になってしまったのかと思っていました。
今日日「酒は飲むけどテレビは観ない」何て言うと「その心は?」何て無粋者に返されてしまいそうなご時世です。テレビ無い携帯無い、何て言えば宇宙人扱いされます。
フツウ、って何なんでしょうね?
wikipediaで調べてみると、高田渡は岐阜の本巣出身だったのですね。「自転車に乗って」は、草野心平が詩集「赤城おろし」で利根川の土手を自転車で爽快に走る女性を描いた詩です。高田は彼なりにアレンジして曲をつけていますが、あの抒情は最近の歌には全く無くなってしまいました。フォークの佳品です。
高田渡と熊谷守一は岐阜が輩出した二大変人であり且つ偉人です。
「自転車に乗って」は、草野心平モノでしたか、勉強になります。
「生活の柄」は沖縄の詩人、山之口貘の同名詩をチョコッと変えて歌を付けたものですし、他にも金子光晴のものもあるようです。
演目中に居眠りこいて客に許されるのも、志ん生か高田渡くらいのものと言われるほどの大物だったようです。
大学2年から30代前半まで、テレビ持ってませんでした。ある時、NHK受信料を払ってほしいと取り立てに来たので、「テレビは持ってない。」と云っても、最後まで信じてくれなかった時は、ちょっと悔しかったな。
おお、流石はシェイクさん!
要らないですよテレビなんて。
でも今は持っているんですね、悔しかったから?
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