パリへはリスボアからバスで向かった。
カイロからローマに飛んで、そこから陸路列車でフィレンツェは飛ばしてバルセロナ、マドリッド経由のリスボア行きだったと記憶する。
昨晩確認に家探しして3冊組の過去旅行ノートを見つけ出して、アラビア語表紙のノートをエイヤッと開いたらまさにそこがパリ行きのバスに乗ったページだった。
やいやいや、懐かしくてついつい飲み過ぎてしまった。
正直パリには思い入れもなかったし、実際に記憶も薄い。
タイミングよく、山岳部先輩で旅行好きのKintaさん(愛称)が別嬪の彼女連れで空路パリに来ており、まさにドンピシャで会えた。
チーズをアテにワインを呑ませてもらった。
尚、Kinta氏は周囲の予想を大いに覆してこの彼女とはゴールせず、別の女性と結婚して今では四人の子宝に恵まれて北の地で幸せに暮らしておるげな。
いぎなりパリに飛んできた両氏とは違い、ここまで既に世界遺産だの観光名所だのに飽き飽きしていた私は、パリといえど遺産で、いや勇んで観光地巡りをするズクもなく、オルセー、ルーブル、ピカソ、マルモッタンといった美術館に足を運んだ以外は、セーヌ河沿いの露天でフランス製のジャズレコード漁りに興じるくらいで、あ、グラン・パレでジャン・バティスト・カミーユ・コロー展にぶち当たるという僥倖も有った(これには三度も出掛けた)。
いや、何の話がしたかったかと言えば名曲「April in paris(パリの四月)」のことだった。
私がジャズを聴き始めた頃に、探検部の先輩に当たる豊岡ノビ太氏(愛称)が持っていたCDを借りて聴いて、中でいたく痺れたのがトランペッターのサド・ジョーンズのリーダー盤である「The Magnificent Thad Jones【1956】」だった。
まずもってジャケットが格好良過ぎる。
本人の影に、女性が居るとか居ないとか。
一曲目のその「パリの四月」にもう、ガバッと持って行かれてしまう。
マックス・ローチのビビッドなブラッシュに乗って、教会の鐘の如くに簡素なバッキングで応答するバリー・ハリスのピアニズム、渋ッツツツ!
それらを受けて、朗々と唄うトランペットの素晴らしさよ。
このヒトはマイルズやリー・モーガンなどとは違って、トランペットを如何にも金管楽器らしく鳴らすラッパ吹きで、好きな奏者の一人だ。
これを聴いて何も喚起されるものが無いような方とは多分、話すことは何も無いと思う。
あの「パリの四月」で唄われたParisに、他でもない4月に今居るのだと思って、夜行バスの車窓から朝ぼらけのパリ市街を目にして感激した覚えがある。
だがしかし、そのパリ市内で「April in paris」を聴く機会にはついぞ恵まれなかった。
ロンリープラネット社出版のそれで殴られたら大層痛そうな分厚いガイド本には「activity;jazz」の項目もちゃんと在って、そこいらへんが日本の「地タマの歩き方」とは錬精度合が違うのだが、それを調べてジャズライブにも出掛けたはずだ。ル・カヴォード・ラ・ユシェットだったか。でも聴けた記憶がない。シャンソンも聴いていない、バルネ・ウィランにもステファン・グラッペリにもリタ・ライスにも会えずじまいだった。誰ぞかに会い損ねたのを今思い出してきた。
「パリの四月」と言っておきながらこの曲を聴いて私が想起するのは、札幌の街中が雪に覆われた中で隙間風吹きすせぶ探検部員が暮らす一軒家、青年倶楽部だったりする。
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