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「明日」という名の将来について。
昨秋、今後親族の持ち山を整備するに当たって林業の自伐林家枠の造林補助金の当てが外れて頓挫していた話だったが、何も補助が無いからといって取り止めるまでもない話ではないか、とハタと思い直した、いや思い直せた。昔話ではおじいさんは柴刈りに出掛けて暮らしを立てていたのだ。
家内が珊瑚、いや産後ケアの仕事に手を掛けてみたい、それも企業いや、起業のレベルで興せたらと真剣に考えているのが一点。
私は私で11年間で体得した林業技を生かすような今後にしたいという思いがある。
やってみると判ることだが、公的なお金を受けるとそれ相応の対価が発生するものである。費用対効果、という対価が。事業体として、結構シンドイものがある。
京都議定書、いやパリ協定とまでは言わずとも、森林整備は二酸化炭素吸収や国土強靭化等の公益性のある仕事であり、地球環境保全に資する行為であるという意味で、近年は環境税も投じられて益々林業に対する社会の期待は高まっている。
材価は下がり、人件費は上がるという構図の中で、単に木を伐って搬出しその売り上げだけでは事業体を賄えない為に公費が投じられるというのが単純な説明になる(ただし、森林組合は利潤を追求しない団体とされている)。
私の親方の時代は、人件費は今ほどでなく且つ社会の木材ニーズが高かったことも手伝って材価は高く、助成金なぞ植栽以外は受ける必要もなかったという。
よって、補助金を受けずに林業を営むことは今の時代では「持ち出し」となる。
まぁ、持ち出しも持ち出し、搬出材の販路もないとなるとボランティア以下だろうか。
それでも、春からやってみようかと考えている。薪の搬出だけでもいいでないの。
何某かの流れが起こるかもしれない。
雪が解けたら動きだそうと思う。
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