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二月に敢行した厳冬期鷲羽行は、計画しておきながらいざ山へとなると心に重いものを感じていたのが正直な思いで、何故そんな重い思いを携えたまま時間と金を掛けてまで寒い世界に行くのか、出掛けるまで自問する日々だった。何故、山へ?
その山中、米山氏からは気の利いた?回答があった気がするのだが、今となってはそれすらも思い出せない。
下山後の晴れやかな気持ちといったらなかった。
春山と冬山とではストレスの度合いが違う。
三月の二山行は春山であったが、鷲羽山はまごうことなき冬山だった。
今考えると、二月と言うのは私が大学の探検部から山岳部に移った月でありまた、移って十日と置かず遭難が、それも同期一年目が死亡するという当山岳部の歴史に於いて手痛い山岳遭難が発生した月であった。
初心者が、いぎなり冬山への恐れを持って当然の事件だった。
入部したと思ったら、山どころか連日連夜の検討会で、探検部でその手の話し合いの場には多少なり慣れてはいたものの流石に耐え難い雰囲気であった。
その検討会を終えて「まぁ飲むか」で居酒屋に行けば、とある先輩から「『ある意味に於いて』お前は疫病神だ」などと謂れなき中傷を受けて気分が大いに沈んだものだった。
Kとは面識を持って直の別れとなった。雪庇踏み抜きによる滑落、埋没、窒息死。
二月の山を私が重く捉えるのはこの件も無縁ではない。いや、この件があるからこそこれまで二月の山に出掛けられなかった。
鷲羽岳から下山して家内のお迎え待ちのコンビニで見掛けた「週刊新潮」表紙がその鷲羽岳らしきで大いに驚き購入したものだったが、その中の藤原正彦氏の連載「管見妄語」の内容が偶然にも、父・新田次郎を亡くした二月を最も辛い月として感じると、私と同じく書いておられる。
私の中で二月とはそんな月であった。
今年、それを破ることができたことを自身、後にどう思うのだろうかに興味がある。
今日はこれから次女の卒園式参加だ。
macchan90さま はじめまして
お嬢様の卒園おめでとうございます。
石井光太さん→疲労→二月と読ませていただきました。
悩んで行った下山後の充実感と心底ほっとした気持ちと相反する心が伝わる素敵な文ですね。
私はへたれハイカーですが、大学時代合唱部で「山に祈る」を歌っていた時、部員の友人が山で遭難ということがありました。(過去日記に書きました)
それ以来、へたれでも何でも山には真摯に向き合わなくてはという気持ちです。
石井さんはレンタルチャイルドから読んでいますが「遺体」がお勧めです。
1945も読んでみます。
木箱様
コメント並びに祝辞をありがとうございました。
「山に祈る」拝読しました。私も最近、特に一人で歩いている山では何でもない所でこそミスなく真摯に取り組もうと留意しています。
石井氏の著書ですが、私も次は痛い、いや「遺体」を読もうと思っておりました。それにしてもスゴイ題名ですね。
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