この夏に遡った三本の沢である餓鬼岳東面「乳川谷」、五竜鹿島槍東面「大川沢」そして今回の蝶ヶ岳南面「徳沢」は、PCでパチパチ調べた範囲ではどれも遡行記録の出てこない沢で、沢登りが本来持つ「一体何が出てくるかわからない不安と期待」とを携えて遡行した。
ただ記録未見ではあるものの、どれもが初遡行だと思って取り付いたわけでは全くない。
どれも近隣の社会人山岳会の(4,50年前の)過去報告書を掘れば、必ず出てくるはずである。というのも著名山岳への極めて常識的な範囲での遡行ラインだからだ。
乳川谷は実際に遡行経験のある方からのコメントがあったし(私の生まれる丁度一週前の昭和四十五年四月一日発行『遡行5号』【大阪わらじの会会報】にも掲載アリとのこと)、大川沢は氷河調査でもイの一番に採られた当たり前のラインであったし(重荷では突破できなかったようである)、徳沢に至っては猟師等には大いに渉猟された場であったことだろう、支沢にそれらしき名残がある。
21世紀になっても未だ手近な場所に記録未見の沢がある、というのは逆に情報に「守られている」一面があるのかと思う。
今日日の沢登り愛好者には「一体何が出てくるかわからない不安と期待」は不要であって、逆に情報ありきの沢でなければ行く価値もない風である。
右に某支流を合わせて左折した先の7m直瀑には右壁に残置ハーケンがあって登られた実績があり、その先には気持ちの良い平流が現れてランチタイムに丁度良く、腹もくちくなった午後の強い日差しの下でひと泳ぎのできるゴルジュを通過し、心地良いけだるさの中で現れた橋に上がって開始地点に林道歩いて戻る。温泉入浴、グルメも忘れない。
誰かが示し、整えたタイムスケジュールに則って日帰りで水遊びする。ジム通いでクライミングレベルは一様に高く、それでも多少の危険も伴うし、緊張感もあって充実充足はする。
だから何が悪い? いや、まぁイイんですが。
仲間内で、他人がアッと羨むような魅力的な山行報告を提出し合っていた時代が既に懐かしい。登山が文化的行為であった頃すら懐かしい。
高度3100m地点の槍ヶ岳山荘でスマフォをタップすることに何ら違和感を持たない若者はじめ老若男女問わず、今更何を伝えていいのかも今の私にはワカラナイ。
時代の変容振りに、口をアングリとタワケのようにただ開けるのみ。
静寂や、先の見えない世界にはもう価値はないのか。
人生に意味なし、ただ生きるのみ、なのか?
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