鬱? 秋だから? 親を見送ったから? 飽いたから? 経験というのは実に貴い。
ドーデモイーカラやれることはやれるうちイマのうちにやっておけとばかりにやってきたのが二月から今日までのこの流れである。お陰で随分と登れた。
何をしておきたい?
やれるだけ幸せなものだ。
だからこそ「真っ白な灰になるまで登るんだ(山野井泰史)」、燃やし尽くさねばならない。
秋分の日の振り替え休日に、一月半振りに孝ちゃんが遊びに来てくれた。30年前の高2の時に自転車での北海道旅行を共にした仲間である。波長も割に合う。
この、バツ2の孝ちゃんがうちの子らに大人気である。男性に対して人見知りの強い次女にして、キャーキャーである。実際に持つ娘故に慣れているのか。いや、互いが互いを求めあっているというか。
島根で釣りあげて土産にくれたアオリイカを捌く姿を見ていると、それに寄り添う娘二人、家内を写真に収めて「俺が居なくなってももう大丈夫!」と思わせる構図が絵になっており何やらジーンとしてしまった。
私がセコセコ洗濯物干し洗い物をしている横で、何の気兼ねもなく本読みする嫁を見て、もう別居しかねぇなぁ、と思う。読書はいいよね。
家を買おう。隣家を。
別居した隣家に、間男ならぬダダならぬ仲の同級生が隣に居るのもいい。21世紀ならあるある。好きにすればいい。
私は単に、君たちの幸せを最大限に祈る者である。その様な者でしかない。
無性にザック川下りがしたくなってきた。川の藻屑となり果てても。
今なら、池ノ谷降渓も、称名廊下々降も、、、、。
何年かに一度、無茶苦茶したくなる時がある。
そんな時、人は殻を破るような行為が成せるのだろうか。
更年期だろうか?
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