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四尺チョイのヤマザクラなのでバリバリに伐っていた頃を思えばかわいいらしい木なのだが、ブランクあると家に傾いだ雑木だけあって緊張感ある仕事になった。九月も末、暑くもないのに多量の汗を槐多いや、かいた。
もうここしかない、という隙間に枝の張った桜の木を倒し込んだが予定よりかは末が1.5mはズレた。親方キヨッサは「掛からず倒れりゃ上出来や」と言ってくれたものの現役時代に比してやはり勘が鈍った。
伐倒も大変だが、実際に手が掛かるのは枝片付けで、見た目で落ち着いた感じにするまでが大いに手間だった。
アカメガシワやらコナラやらをチョンチョンにして片付けると、栄養ドリンクを持って慰問に訪れた歌舞伎役者の様な御顔立ちの苦情の主が般若いや、菩薩の様なソレに変容する様を見て、遣り甲斐があった。
別にボーナスだの福利厚生だの要らんから、喜ぶお顔が見られただけで一日の価値が在った。
しかし、久方ぶりにやって思うのだが、チェーンソーというあのような危険極まりない道具を駆使し、伐倒というアブナイ作業に従事し、過酷な仕事を乗り越えて、切創や打撲といった怪我もせず何事もなく帰宅して風呂に入って酒を飲めるのは実に有難いことに思う。
親方が言うに「傍から見ると仕事は楽そうに見えるんやが、楽に見るのはド素人ならではなんやぁ。」と。私ではないですよ、60年選手の親方ノタマワク。
伐倒の失敗なく予定通りに仕事を仕舞にし、道具類を片付けて引き上げた頃に雨が落ちてきた。
失敗しなかったから濡れることなく今こうして雨音を聞きながらパチパチやっていられるのだが、ひとたび失敗しようものならズブ濡れで仕事を片付けているところだった。
山も同じで、事故無く怪我無く降りてくるとそれをさも当たり前のように思うものだが、何か起こして初めてその何事もない貴さに気付くものである。
怪我をしないことは当たり前ではない。人間、慢心があれば(無くても)誰しも怪我や事故を起こす。だから、緊張感をもって暮らしたいと思うのだが、理解できないオッカァには永遠にできないものらしい。
嗚呼、腰が痛ぇ。
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