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冬型の気圧配置でこちら岐阜は穏やかな冬晴れの朝を迎えた。
家内と子供三人は、実家の栃木で新年を迎えている。男体山は見えているだろうか。
ひとり静かな元日、落ち着きない私はついつい外出したい気持ちに囚われるも、朝から掃除洗濯をし、ラジオを聞き【2019巻頭言「『平成』から新時代へ〜グローバル経済と民主主義の未来」、高橋源一郎の平成文学論 】レコードを聴き、本読みして過ごしている。
紀行文集で村上春樹氏が書いた「緑の苔と温泉のあるところ」や南博氏『マイ・フーリッシュ・ハート』の第二章「内耳の奥の音楽」そして最近とある旅行書で発ち読んだストロックル間欠泉の「ビー玉」が観られるアイスランド、良いなぁ行ってみたいナァ、何て思うけれど半面、どうでもよくも思う。今更、どこ行ったって同じだ。おんなじことだ。
両親の他界に乗じ離職し、相続処理だ何だとこの一年と二ヶ月の間、子供三人抱えた48の中年男がブラブラと過ごした経験は中々に貴重であったとはいえる。こんな奴、そうは居ないだろう。
溜まった山登りもやってみた。行こうと思えはアイスランドだろうがフィンランドだろうがスウェーデンだろうが台湾、屋久島だろうが行けるには行けた。お金だって困らない程度にはあった。贅沢な話である。
そこそこに満足もしたけれど、モンクばかり言っていた気もする。
高給取って週末連休上手く活用して素晴らしい山行を成している人、その上家族とも良好な関係を保てる人、そんな人たちを羨んで出来ないことばかりをあげつらってきたこの一年と二ヶ月だった。姜尚中氏の「相互承認」という言葉が響いた。
家族や住む家がある事、山に登れる健康な身体がある事、数は少ないものの心安い友人がいる事、そして平和な毎日を迎えられていることにまずは満足し、さも当たり前に思っているこれらのことに感謝したい。そして明明後日から新たな仕事に就き、生活をキチンと軌道に乗せたい。さすれば栃木にも行けよう。
昭和64(西暦1989)年1月7日に天皇が崩御し、「昭和」の最後の日となった。
翌1月8日から「平成」が始まり、西暦2019年4月30日がその最後の日となる。
平成元年1/8から31年4/30まで、30年と約4ヶ月。日数のカウントは30年113日間(=11,070日間)という。
元号が平成に決まった際の小渕氏の画像は強く記憶に残ってはいるが、最後の共通一次試験を目前にして気もそぞろだった。岐阜の「平成(へなり)」集落が注目を集めてその流れでその名を冠した道の駅ができたと記憶する。入った恵迪寮にもその名の部屋があった。
2019年4月、「平成」が終わり、新しい時代が始まる。
M T S Hときて、次は何と来るのだろう。もしやz?【R、でした】
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