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起きてすぐには登山再開の暁にやってみたい計画をいくつか作成した。50を越え、技術的困難を求める沢登りからは遠のきつつある今、単に歩き続けるだけの長いラインを求めるようになった。先週行った六日間山行もその一環だったが、満足度は意外にも高かった。今は膝が痛む。
午前、長女が通った絵の教室の先生から借りっぱなしになっていた俳句本とレコードを、この度ようやく返却できた。先生はお年なだけに(コロナ故の)対面を気にされるかと思いきや、私はお宅に招かれて一時間ほど歓談した。主に絵画の話をし、水木しげるや俳句表現やレコードの話もした。この先生とは妙なところで話が合い、漫画ガロのことや鴨居玲、正岡子規と中村不折の関係、コルトレーンや高田渡にMJQが俎上にあがった。こんな閉息したご時世に文化的な話を交わすというのは精神衛生上、実に有益なことだった。心が腹一杯の贅沢した感じだ。
海外に旅行すると折角大枚はたいて海の向こうに出掛けるのだから、そこに行ったという証拠作りに腐心しがちで兎角その都市の観光ポイントを押さえるために奔走するのが旅行者の心理とするならば、そこで敢えて「何もしない」のんびりとした時間を過ごすことが殊日本人にとっては困難事に思う。こころの隙間を必死に何かで埋めようとしてしまう。バックパッカーとしてできた何もしない贅沢、貧乏だけれど贅沢を言わなければ不足無い毎日を送れる幸いを思う(明日をも暮らし行けぬご家庭に於いては早急なる給付や精神的援助がなされることを切に望む)。ソレを思うと今回のこのステイホームは考えを改める絶好の好機に思える。こんな事態はそうそうやって来はしまい。前代未聞、黄金連休の国民総自粛。
私はこれまで欲を貪り過ぎた。食べに食べても満腹にならない。京都、龍安寺の知足の蹲踞(つくばい)『吾唯足知 (われ ただ 足るを 知る)』には遠く及ばない。50を機に少しでも改めたい。
反省の心とは裏腹に、雨後の晴れ渡った夕空を眺めていると不思議と希望が湧いてくる。こんなご時世に何だが。
ハンク・モブレーの「The turnaround!」を聴きながら。ジャケが象徴的。【20200504】
追記;そんな中で家内は単管パイプテラスの延長という良い仕事をしてくれたが、これも贅沢。以降、これで布団が干し放題だ。残るは二階ベランダを繋ぐ「空中テラス」の作成のみ。竹で作ろうかな。
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