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の、その井君が昨夕遊びに来てくれた。私と同じ水産学部の、今度の彼のその父は、実に51歳と私と同年齢であった。こちらも実に礼儀正しい青年で、5-4(一留年で、5年目4年生)とのこと。
私が大学をうっちゃって台湾溯渓を志したのが22の時で、お世話になった際の茂木さんは45だったことを思うと世代交代の感である。あの日、私は手土産をちゃんと持ってお宅訪問したか? とらやの草餅、家族に好評だった。
先週末に開催された沢屋交流会に参加するためにわざわざ函館からやってきて、実家に帰省後のその足で立ち寄ってくれた。
話題は共に愛好する沢登りから岐阜の事、飛騨山脈のこと、仕事のこと、そして山岳部同期の活躍に渡った。Sir Charles Thompson 4「ロッキーの春風」を聴きながら。流石は山以外の趣味に「アルコール摂取」と記載するだけあって「バッファロー トレース」をグビグビと気持ちよく注ぎ呑んでいった。良いなぁ、若いというのは。徳河谷に一人で登って来たばかりともいう。
ヤマレコでの彼ら(山岳部同期生)の山行記録を見るに、今日日山に登る若者は嗜みとしてフリークライミングで高いクライミング能力を携えた結果、我々の時代に難しいとされていたグレードの高い人里離れた場所での継続沢登りを、怪我無く事故無く成している。勿論、容易くではないにせよ、25年前にはOB山行レベルの継続を、山を始めてから4年の間に成しているその姿には感心してしまった。
更には、当時は限られた人にしか登られていなかった層雲峡「天狗のひき臼」の『蝦夷生艶気樺焼(えぞうまれ うわきの かばやき)』はまだしも、その隣の『ロングナイト』を登ってしまう学生が現われるなんて想像もしなかった。
う〜ん、熱出しそう。
シシャモナイのへの字ハングは?
こちらに戻ってきたら、大山・甲川に連れて行ってもらう約束をしてバス停で井君に手を振った。
私にも、あんな毛のふさふさしていた時代があったノダ。
「俺は沢ヤダ! 新編増補版」のダブリが見つかったら送るワ。
最後で笑ってしまいました。
ドーデモいい部分は生え残り、また大事な部分は抜け落ちて、、、、。
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