![]() |
|
ラジオ深夜便で「リチャード・ロジャース作品集」を聴きながら、新聞が届くのを待って3時に起床した。雪は止み、既に溶け出しているところをみるに低温ではない。火を熾して暖をとり、ほうじ茶を淹れていつものように新聞を広げた。
大雪の記事を読み飛ばして11面「くらしナビ」の項を繰り「女の気持ち」に『山を越えて』とあり引かれて読めば、、、、、!!! 読み飛ばすことも多い当記事だが、今日に限って読んだのが何あろう、縁ある方のものだった。
この記事をお書きの方は、私が先週12/19に書いた日記に(夢で)登場の、チベットで出会った御一方、の御母堂である。
この方は作文がお好きなご様子で、随分以前に白山書房の「山の本」にも寄稿されていた(1992年10月号「50坪の専業農家」)。
新聞文中にもあるが、ご主人・忠氏が(唐沢岳幕岩にて)滑落遭難死されて以降、起業したばかりのヒラタケ栽培を幼子三人を抱えた上で軌道に乗せ、義父母の介護もあったことだろう苦労の連続だったことは知っていたが、その後倒産の憂き目にあわれていたことは今回の記事で知った。その上での表題「山を越えて」である。
剱岳東大谷に、御主人であろう初登記録を「岩と雪」の古〜い記録に見た覚えがある。今と違って当時はあの手の登攀(決して高くはない登攀能力と、プアプロテクション)に多くの方々が情熱を傾け、命を懸けそして、散っていった。
新聞には御年も掲載されてまた、近況も書かれていた。
いつか機会を見て伺い、お会いし話してみたいと思う。
2000年の冬に手漉き和紙の取材で静岡の和紙職人を訪れた際、至近だったこともあって当氏に聞いてみたところ、ヒラタケ農家としてテレビにも出たことがあってご存知とのことだった。いつかそのうち会えるだろうと思ってから早や21年。20年何て、あっという間だ。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する