|
今日は、息子の同級生の何割かが脇汗をかきつつ受験しているはずだが、当の息子;タケオは受験せずに私と珍萬で酢豚定食を食べていた。
先週にはタケオの身に大きな波乱があった。今秋、語学留学で台湾行を予定していたものの、推薦を受けられない程度の父親バリのヤンチャ振りを発揮してしまい、元の木阿弥になった。今回の件について、タケオは申し訳ないと平謝りだったが何のことはない、もとより母親が差し向けた船に乗らなかっただけのことである。今後は、自分で船を拵えて自分の道を探ればいいだけのことだ(それにしてもその平謝りのタイミングで我々両親に随分な野望を伝えてくれたのはこの度の大きな成果である)。
私の従事する林業では、共同作業ではなく個人作業の日が月に何日かあってそんな際、作業中や休憩中に”想像に遊ぶ”ことのできる時間が持てる。そんな隙間時間にスマホを弄るのが現代っ子なら、私はオールドスクールの申し子である。雑紙にチビた鉛筆片手に、考えを纏めてみたりする。ここ近年は、自分の立ち居振る舞いが地球温暖化防止にどれ程寄与できるかを考えて作業するのが心愉しいブームである。
そしてここ近日は、息子と同年の34年前に立ち戻り、台湾行が頓挫した今の息子と同じ立場にもし自分が立ったなら、何をしようかと考えるのがマイブームである。これがまた楽しい。
私もオッカも、今のタケオなら三ヶ月後には親元を離れ「自由」を求めて巣立った年の頃である(その「自由」の真の意味を理解したのは実はごく最近のことなのであるが)。
世間が良しとする道はただそれだけの道でしかない。
自らが良しとする道を自分の手で見つけることこそに真の意味がある。私もオッカもそれに時間が掛かった。濁世に流されることなく、考えを尽くして「道のための道」を歩いてくれればいい。金でも地位でも名誉でもなく。
ま、今年は慌てずに、浪人生だと思ってじっくり考えるんだな。俺の時代には三浪二留年なんていう立派な方も居たことを思えば何でもない。
人生を燃やし尽くせ。力石や矢吹ジョーのように。
前向きな気持ちにさせてもらえました!
ありがとうございました(^^)
こちらこそ、あたたかなコメントありがとうございます。
新年おめでとうございます
「人生を燃やし尽くせ。力石や矢吹ジョーのように」に同感。人生は一度限り、心と体を使い尽くさなくてはもったいないですね。
「自由」について私も納得する文章に出合いました。政治学者の姜尚中氏が「不自由であることの自覚を欠いた自由が、不幸の原因ではないか。自由はなんで生まれるのか、それは、、、、、それ(不自由)を受け入れることを通じて、初めて自分が自由になるのかもしれない。」と。
沢山の難題に取り囲まれている自分にはとても光明になる文章でした。前文の”それ(不自由)”の不自由は自分の解釈です。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
自由の解釈は簡単ではないです。自らに由る、とするならば自らに由らざる人生を排せばソレに寄っていけるのかもしれません。結果はどうあれ、息子や娘たちには手に入れた知恵をヨスガに自らの道を歩んでくれさえすればいいと最近思うのです。不自由さをも受け入れた知恵、を手にして。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する