「私が」ではない点がミソなのだが、それにしても傍で見ていてアブナかった。
今日はお寺の裏山の特殊伐採【略して特伐】だったのだが、いつも伐るスギでもヒノキでもなく、椎の木の大径木というのもまたミソで、いつもの数倍難しい仕事となった。何故か、は伐れば判る。
この手の仕事は私が親方というシーンがまま多くてスリルなのだが、今回はアブナイ特伐に引っ張りダコの志賀氏(仮称)、の手元(お手伝い)ということで参戦した。
いやはや、自分が主でなく従の立場でアブナイ仕事に従事することの気楽さを嫌という程味わえた。私があんな失敗をしでかしていたら冷や汗もとい脂汗ダラダラだったことと思う。ワタシャ、あんな失敗しないケド。寺の大屋根を壊すことこそなかったものの、あの失敗のリカバリーには倍する労力と大変な危険が伴っていた。リカバリーには幸運もあって椎の木は無事に「寝て」くれたから良かったものの、再度「引っ掛け」て寝ていなかったら、、、。
家屋や車、電線といった「絶対に当ててはならない」対象がすぐ隣にある大径木(大きな直径の高木)を伐るスリルは、難しい滝を登ることと似ている。
ひとたび木に手を掛けてチェーンソーの刃を入れたならもう、伐ってしまう他ない。
ひとたび滝に手を掛けて難しいセクションに突入したならもう、登りきってしまう他ない(戻ることができるならそれは未だ核心部に突入していない証拠)。
共にもう、後戻りできない。もう、行くしかない。そこがイイ。
その点こそが、私が両者を好む理由なのだろう。「丸木橋は一気に渡れ!(ヤルンカンでの今西錦司だったと思う)」
人を頼ってばかりのお気楽人生が、如何につまらないことか。
お給金貰ってこんなスリリングなことが日々できるなんて!
でも、失敗こいて大伽藍壊いたら給料から天引きだっつーの!
仕事は明日にまた、続く。
お寺の屋根を壊さなかったのは何より、良かったですね。お久しぶりです。
当方も昔、似たような冷汗をかいたことがあります。
実家の空き家に大きなヤシの木があって、母親が植木屋さんに伐倒の見積もりを聞いたら、5万円と言われたそうです。母としては、太いヤシの木は梵鐘の突き棒になるというのに、逆にお金を支払わなければならないと憤慨。ヤシは命拾いをしたという訳で、高さが2階家の屋根を越していました。残された私としては、何時倒壊し、隣近所に迷惑をお掛けするのが心配でした。ヤシの木には申し訳なかったのですが、放置はできんと一大決心をして自分で伐倒することにしました。なにしろ素人ですので、簡単だろうと考えてしまいましたが、とても浅はかでした。
都会ですから、四方八方が建物や電線があり、倒す方向・箇所は一か所しかありません。それ以外では建物に当たってしまいます。その一か所も根元を切ると家にぶつかるので、高い位置で切断する必要がありました。大きな脚立も梯子もなかったので、ザイルを駆使して約2m程の高さにヤシの木にぶら下がり、地上から約2.5mのところ手道具の剪定ノコギリで切ることに、まあ硬く太いので、直ぐには切れず、たった一人で始めるのではなかったと、すぐに後悔してしまいました。が、やり始めたら切り倒すしかありませんね。刃の入れ方(倒す方向、反対の方向の2箇所など)も知らなかったので、ドキドキハラハラ現場で考えながら行いました。倒す方向には引き寄せる為のザイルを結んだりいろいろ考えました。たった一人ですから、切断作業と引き寄せ作業を同時に行えないので、状態確認しながら慎重に行いました。最後は引き寄せ作業で倒したわけですが、運よく家にぶつかる寸前でした(かすった)。樹高を目測でしか分からなかったので仕方がありませんが、甘かったです。誰か他人に助けを呼べないザイルのトップ、あるいは一家の大黒柱は、しんどいものです。私は、引き戻れないは、実際引き戻れないんですが、それがイイとは思えません。が、窮地に至ればイイと思うしかないのかもしれません。
お久しぶりです。暑い日が続きますがお元気のことと思います。
椰子の木伐倒に奮闘されたご様子、誠にご苦労様でした。
貴重な共感のコメントに感謝です。この手のハラハラドキドキはやった人にしか判らない体験です。無いよりはあった方が豊かな心持になれるのがこういう冷や汗経験だと思います。
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