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城の縄張りは、川の二股が標高差50mくらいの急斜面で、ちょうど軍艦の舳先みたいになっていて、裏側には堀と支流の谷が切ってあり、籠城に最適な地形です。武田軍1.5万人に囲まれた500人、最後まで落ちなかったのですが、囲まれている最中に、鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)がこの崖をクライムダウンしてふんどし一本で水中を下り、網を掻き切って脱出、翌日岡崎で家康と信長に援軍を頼み、また帰ってくるところで武田方に捕まって対岸の崖上で磔刑(たっけい)になったという英雄伝があります。
やっぱりこの断崖がどの程度の難易度で、スネエモンはどのくらいの沢ヤだったのか、というのが登山愛好家としての古城見学ポイントではないでしょうか。
本丸と野牛郭(くるわ)の間を無情にも国鉄飯田線が横断しているのですが、とことこと線路を渡れます。いまは踏み跡が野牛郭の下まで続いていて、豊川本流の深い淵の下まで行けました。途中に櫓(やぐら)跡もあります。とても美しい淵でした。夏なら潜りたくなる美しい水です。深みを潜って息止めて2分も下っていけばなんとかなるかも。普段から泳ぎ慣れていれば。真上には高速道路大橋が跨いで景観壊しています。
断崖は今はブッシュが生えているから楽勝の藪こぎで登れますが、戦国期はどうせ木は無く丸裸だったと思いますから難易度も高そうです。すぐに敵に見つかって槍で突かれて落ちそうです。50mの段差は、飛べない人間には致命的だと思います。対岸の磔刑になった場所には碑が建っていました。いまは杉林で、対岸があんまり見えませんが。
史跡の探訪には、知識がなければ鑑賞の意味はありません。「長篠城址、行ったことあるけど何もなかった」とよく聞きますが、そりゃそうでしょう。でも現場で資料館があるからそれを見れば見えないものが見えてくるのに、もったいないことです。見れば誰でもわかる芸術作品との違いはそこです。
資料館には、武田陣地の対岸鳶ヶ巣山コース、武田勝頼本陣コース、設楽ヶ原激戦地周遊コースなどの2時間ぐらいの徒歩散策ルート案内のチラシもありました。車で回る人には見えないものがあります。
yoneyamaさん、こんばんわ。
古戦場巡りよいですね。新東名の
設楽ヶ原PAへは仕事のついでによく立ち寄りますが、
残念ながらゆっくりと寄っている暇がなく、
いつもトイレ休憩だけです。
昔から、そのあたりは一度、ゆっくりと
巡ってみたいとは思っていましたが、、
未だ果たせず。歴史ものは興味のあるなしが
如実にでてしまうのですが、もったいないと
いえばもったいないですね。
設楽ヶ原PAのある高台は、織田信長の本陣跡みたいですね。まだ訪ねていないのですが。そこから東に見下ろした低い南北の沢型地形が両軍の前線で、馬防柵のあった激戦地跡です。新城インターはもう武田側です。こんどトイレによるときは、信長の気分にでもなりきってくださいませ。
新城インターの南、清井田交差点にある地味なラーメン・和食屋さんのラーメン、大変美味しかったです。
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