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家が出来てから56年分のいろんなもの、いつかは片付けなければならなかったものがたくさん。業者に片付けを頼むと一部屋六萬圓勘定だそうです。うちは一時10人が住んでいた、改築重ねた住みにくい家で部屋数だけは多いので、五拾萬圓は行きそうでした。幸い近所に住んでいるし、体力もあるので、楽しんでやることにしました。
掘り起こしていくと、ほとんどがもう使わないもので、捨てるのにほとんどためらいが要りません。二人は戦中生まれなので、なんでもとっておくのでこうなりました。
父母はもともと整頓好きというわけではありませんが、たとえどんな綺麗好きだったとしてもやはり80代になると、そういうことは出来なるなると思います。だからほとんどの要らないものはここ十年ぐらいのものでした。ティッシュとかタオルとかシーツとか、たくさん買い込んで別の場所にあるから管理ができないというようなのは老化のせいと思います。
ためらったのはやはり思い出のもの。40年ほど前、お母さんがよく使っていた編み機、中学生の頃お世話になったステレオセットなど、でももう使いません。大きな粗大ごみは市のリサイクルセンターへレンタカーで運び、崖の底のようなところへ自分で投げ込まなくてはなりません。このときばかりは「ごめんよ。ありがとうよ」とおセンチになります。
僕と姉のへその緒や、幼稚園からの名札、校章バッジ、学生証。文化祭や演奏会で僕が表紙をデザインしたパンフやチラシ、当時の連絡網電話表までお母さんが保管していました。行方不明ではありましたが。
お父さんは死にかけたせいか、何でも捨ててくれて助かる、と淡白ですが、お母さんはまだ生きるパワーにあふれているのかもう使わないものでも捨てるのを渋りますが、姉が大胆にやっています。
最後の大物は家電法で廃棄有料の大きな歴代ブラウン管TV×3、壊れてる冷蔵庫、壊れてるエアコンを二階から運び下ろして軽トラ借りて、指定業者へ持ち込むあたりです。安物の合板木製家具はバラして庭に晒して朽ちるのを待っています。
私も同様のことを現在進行中でやっていますが「ためらい」の理由を一々考えながら片付ける行為を楽しんでいます。無論おセンチにもなりますが。
リサイクルセンター持ち込みは家内がやってくれていますが、河原で大火を焚いて燃やすほうがまだ気持ちが落ち着きます。
盆地は狭くて川は急流、十分広い河原が少なく、往来からの距離が近いのでなかなか火を焚く雰囲気でもないのが残念です。きょうは台風の増水で、普段は遊水地の河原が全部濁流になっていて見ものでした。増水した川はいつまで見ていても飽きません。
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