深田氏は、一般的には百名山で知られる人だけど、彼の真価は、1950〜60年代に未知のヒマラヤに最も詳しい専門家として大学山岳部の海外山行の相談役を担ったことと私は見ています。1920年代に青春期だった彼は開通間もない鉄道で全国の山歩きを続けた一方で、戦前のエヴェレストやナンガパルバットの原典のヒマラヤ報告書を読み込んでいた、当時日本で数少ないヒマラヤ通の登山愛好知識人だった。
「中央アジア探険史」を書いたころの彼は、晩年期で既にヒマラヤ高所登山の実践者になる世代ではなく、その先の天山、崑崙、アルタイ山脈、それに数千年の東西交流(戦乱)史に広い読書をしていたことがうかがえる。思えば今の私は同年齢か。クライミングや高所登山より、辺境の、民俗込みの長距離山行がしてみたい。
チンギスハーン一族の短い記述はわかりやすかった。周辺史をおさらいしてみたら今はキプチャク・ハン国って言わないでジョチ・ウルスっていうんだ。もっと東の方。ザバイカル、アムール、スタノヴォイ山脈、ヤブロノイ山脈。もっと北の方、サハ共和国、今はヤクートって言わないんだ。ベルホヤンスク山脈、チェルスキー山脈・・。ロシア人さえ行かない不毛の地。流刑地。閉鎖地区、特別許可。
アレクサンドロス大王やマルコポーロの行程を地図で辿って読み進める。中央アジアの地勢が頭の中に出来上がり、すごく楽しい。
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