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来年の1月23日にはぜひ僕も青森歩兵第五連隊あとから行軍して、遭難地でイグルー泊したいものである。
昨夜は岳父をうちによんで仕込んでおいた陸奥湾の昆布締め鯛刺身でもてなした。ここらでは30センチもある鯛が1000円で買えて、刺身とあら汁で、三日は楽しめる。
青森はようやく今日から春の陽気と新緑の芽吹き。山肌には山桜でいちばん良い季節です。弘前城の桜は、ソメイヨシノの時期は人が多いからいかないけど、その前後もしだれ桜や八重桜でとてもきれい。まだまだ楽しめる。
図1 八甲田1902陸軍遭難碑後藤房之介伍長銅像
図2 八甲田山麓田代平グダリ沼付近
図3 弘前最勝院五重塔と八重桜
去年にロープウェイから上がり、その頃は登山再開しておらずに散策で終了したこと、大変後悔しております。
ロープウェイから見た景色は、
ああ、この景色は美しいけれど、地図とコンパスが正常でなければ遭難する…。
との感想を持ちました。
雪の中は…私は無理ですので、夏場にいつかは!
yoneyamaさん、こんばんわ
新田次郎さんの本を読んだ時、軽く寒気がしました
私の母の田舎は津軽海峡沿いですが、吹雪いた時の雪が刺さる感じは幼心にも恐怖を感じました・・・。
ご遭難された方々の当時のご様子に思いを馳せると、恐怖心一杯です
ただ、私も夏にはぜひ歩きたいですお山です
1902年は、まだ日本で冬山登山している人はいない時代です。1911年に日本で初めて札幌や高田にスキーが輸入されて雪山に登るようになったので、いまとはまったく違う時代の事というのが大切です。冬山全員初心者で200人のパーティーが、リーダーのいうことしか聞いてはいけない組織なのですから、大変だったことでしょう。当時できることはせめて、冬山を歩きなれた現地住民の案内をつけることくらいだったと思いますが、それもなされなかったそうで。
時代が違うとはいえ、亡くなった兵隊さんの家族が悲しんだのは今も同じと思いますが。
八甲田には何度か足を運びましたが、後藤伍長には会わずに今日まで過ぎてしまいました。いつかまた!
八甲田大好きです。
資料館もお邪魔しています。
当時の装備を見て
すごいなぁ。と
また、
酸ヶ湯側と違い、
八甲田温泉側はひっそりと少し
寂しい。でもとても美しい場所でした。
アラゲンさんカラモモさん
八甲田の周りには安くて長居できる湯治宿が何カ所もあって、山に登れなくなるほど長生きしたら、ああいうところでハシゴ湯治ライフしたいものです。
由美かおるが入っているような渋い湯船のところも多く、湯冷ましに散歩して登った山を眺めるのである。
鞄に原稿用紙と万年筆を詰めて、「書けない」とかいっては湯に入り・・・。
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