増毛の街は、北海道の日本海側の雪深い山、暑寒別岳への登山口です。
1970年代に、増毛の漁師町に下山して、奮発して食べた寿司のうまさは忘れられません。
http://trace.kinokoyama.net/hokkaido/syokannbetu77.6.htm
http://trace.kinokoyama.net/sansai/rensai-gyouzya-n90.htm
超伝導で走り、東京ー大阪屋間を「のぞみ」より数十分、短縮するというリニア新幹線では、投じる9兆円(うち国費3兆円)ものお金がのごく一部が、もしも、ローカル線の足を守るために投じられていたら、全国のローカル線は、救えるのにと思います。
地域の足の責任をもたされただけ、国鉄のままの方が良かったと思います。
昔は、国鉄と電電公社が、地域の若者の雇用の場でもありました。
JRの都会の駅とその周辺は、みな大手民間資本に、いいとこどりされました。
東京都内でも、「えきなか」が繁盛し、駅の外は、個人商店がどんどん店じまいです。
国鉄のままがいいというのは?だと思いますが 分割ではなく、統一運営の民間企業ではどうでしょうか。関係ないかもですが、こんな状態では、 北方4島返還してもらっても、経営出来ないじゃないでしょうか・・・
アラゲンさん、
「分割でなく統一運営」、地域に責任を負うとなると、純粋な民間会社にとどまらない、心配りができる形なら、少し前進でしょうか。
1980年ごろまでの国鉄は、列島の隅々に鉄路を網を伸ばし、貨物と一体で地域の物流を担い、国鉄自身が、地域の雇用の核になる、
という感じでした。
赤字になるのは当然ですが、地域と強く結びついていたと思います。
いまは、国は、リニアに3兆円出しても、地域は視野にないですね。
民営化するときの約束や法律を、国がこわしてます。
tanigawaさん、こんばんは
廃線になると聞いて5月の連休に行ったなぁ
連休中でもあり、駅周辺は大賑わいだった
近くのお寿司屋さん美味しかったなぁ
どんどん寂びれていくの悲しい
tanigawaさん おはようございます
私はツーリングで数回通ったことがあります。
ただの通過でしたが北海道はどの町も好きです
私も20代のころツーリングでオロロンラインを走り、
増毛の海岸の岩の上で休憩しました。
そして羽幌の、廃校となった建物を利用したYHで泊まりましたね。
北海道に限らず、廃線は悲しいですね。
私も新聞で読んで時代かな^^学生時代に行ったんですよ。
PFB01355さん、初めまして。私たちは3日がかりで、増毛の漁港に下りてきたのですが、行者ニンニクの匂いが染みついて、ディーゼル列車の車内では、通学の生徒らから、遠巻きにされました。
日本の鉄道網は世界一、という話を、聞いたことがありました。
北海道を列車と船とバスで乗り継いで、フリープランでまわる企画なんて、これからの時代、企画したら、受けるんじゃないでしょうか。
昔の方が、金のない若者たちでも、いっぱい押しかけましたよね。
北海道は、もっと人が行って、いいところと思います。
bmさん、この沿岸の走行は、70年代までは、一部でまともな車道もなかった時期がありました。
増毛に限らず、ウニ、ホッキなどのうまいものが多いですね。天売島では、漁師の民宿で、ウニ・カレーなんていう豪勢なカレーを食べたこともありました。1泊4000円くらいが相場でした。
サクラマスの資源を守るため、ヤマメなどを含めて全面禁漁にしていた川や、魚種によっては中流部でなら釣ってよくて、大物のイワナに会える河川などもありました。
若い人が北海道に押しかけた時期もありましたね。
ローカル線の場合、何か、うまい手で、ということもありますが、やはり基幹の農業や、観光が立ちいかないと、厳しいですね。
sakusakuさん、増毛から南の海岸はどーんと切れてるところがありますから、楽しめたでしょうね。
あの、海から鋭角にせりあがりが、北海道の西海岸の、延々たる景勝をつくってるんですね。
バイクで走ったら気持ちいいでしょうね。人知れず、山と沢が連なっています。
羽幌線も80年代に廃線に。北海道の線路は、戦前より減って何分の1になるのかな。
riekoさんも、その折には、北海道へ行ってたんですね。当時の若者は北海道に行きたがりましたよね。
学生時代ですが、わたしも、北海道で年に100日前後、山や沢、交通費稼ぎのバイトなどをしていた年があります。
測量のバイトとか、住宅建設での小間使いなど。卒業は遅れましたが、もっとゆっくりしたかったです。
taniさん今晩はです。
学生時代にツーリングに行った際に一晩の宿代わりに駅まで行って泊まる算段をした思い出が有りますね。当時はツーリングが主だったので、鉄道を見たり乗ったりするのは全然頭になく、今から思えばとても残念でした。
強い部分を伸ばす、資本の有効投資、無駄の削除と一見物造りには大変有益な言葉ですが、これが地域や人に当てはめるには、いささかムリが有ると思うこの頃です。
コンパクトシティーは一見素晴らしい一つの考え方ですが、その反面宅地造成を生業とする物から見ると失業の危機です。
出来るだけ安い住宅を望む者から見れば、果たして魅力が有る物件なのか。
公共交通機関の利用を呼び掛けている行政も、運賃や交通機関の法人税より、一人でも自動車を購入してもらい、ガソリン税や自動車税を納めて頂く方が、税収を増やすのにもってこいなので、本腰を入れての対策に消極的な感じに見えます。
つまり今回はJR北海道の廃止決定と言う名を借りた、行政の切り捨て政策と言われても仕方がない行為に値すると感じます。
赤字路線の廃止は行政の力不足の表れで、いずれは行政区の崩壊へつながる話になります。
私は単なる赤字路線の廃止ではなく、地域社会の崩壊を心配します。
でも、北海道の路線は当時の政策で線が引かれたので無理が在ったかもしませんね。
結局時代の流れとなるわけですか・・・・
キンタさん、そういえば、1970年代前後の夏の北海道では、駅や地域の指定箇所に、自治体などが、宿泊所を設けていましたね。
私や友人たちの場合は、こういうにぎやかな施設は敬遠して、登山口のキャンプ場や山小屋をめざすことが多かった。停車場のような小さな駅で仮眠をとることもありました。
駅から、とぼとぼ歩く、畑や牧場沿いの道が、すでに登山でした。
キンタさんのコメントを読んで、私の場合、便利さや効率性のなかに、自分も染まっている面があるのを感じます。
併せて、時間の使い方のあわただしさでしょうか。
有名・無名にかかわらず、昔の登山の記録を読むと、時間がゆっくり、そして濃く流れているのを感じます。人や自然との出合いも、しみじみ来ます。そういう山旅の移動の面では、駅と停留所、鉄道、乗り合いバス、そして自分の足かな。
鉄道の廃線は、実は、地域だけでなく、山に入る人達にとっても、大事な出会いを狭めているのかもしれませんね。
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