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そこは平屋で4室ほどしかなく、流し、冷蔵庫、古いガスコンロが備えてありました。
部屋が廊下を挟んでお向かいのおじさん、1人で1週間ほどの湯治。自炊で使うトマトやキュウリが冷たい水道が流れ込むボールに冷やしてありました。
私たちも、見よう見まねで、マーボなすなどを調理。
この温泉が好きで、楽しみにして来るんだと、話していました。
70才は超えていて、宮古の田老(たろう)の浜の漁師さんでした。
翌朝、私たちからお野菜を少し分けてあげたら、お返しに、田老の名物だよ、といって、海藻の干し上げたものをもらいました。「まつぼっていうんだ。ご飯にかけても、味噌汁に入れても、うまいんだよ」。
毎年、この温泉に湯治にくるんだと。
こんな山間の宿に、湯治にくるのは、ほんとうに温泉が好きなんでしょう。しかも、食事はつつましく、干物や菜食中心。夜もお酒を飲んでる様子はありませんでした。こんな漁師もいるんだなあ。チョコとか山帰りの甘いお菓子をお分けしたら、「わしは、甘いもんが、酒より好きなんだ」と言ってました。
で、またお返しに、「そこらのもんとは違うんだ」という、田老のワカメもいただきました。
東京に帰って、「まつぼ」はご飯にかけたり、吸い物にいれたり、少しずつ大事に食べて、暮れぐらいまで楽しみました。そのたびにおじさんを思い出して、「今度はうちも、湯治に行くか。秋田駒行けるし」などと話してきました。
「まつぼ」と聞こえた海藻が、インターネットで田老漁協のページを見ると、「まつも」だったことも知りました。
3月11日の地震。津波は、田老の浜の自慢の、高さ10mの大堤防を楽々と越え、引き倒し、ニュースでは「町は壊滅状態」と伝えていました。
そのあと、3度ほどこの町の被害や地元の方々が画面に映し出されましたが、カミさんと2人で画面を見つめても、あのおじさんの顔は見つかりません。
でも、壊滅のはずの町で、多くの方が生存していたことも、宮古市の掲示で知りました。おじさん、大丈夫だったかな。
国見温泉は、いま雪の中で、閉鎖中。夏にあの湯治棟にまた行ったら、きっと会えると思っています。
そのおじさん、きっと会えますよ。
「暇だから早めに来ちゃったよ〜」と言ってニコニコしている気がします。
震災の夜から、カミさんは「田老はどうなった!?」 とテレビを追っていました。かいめつ、って、やな言葉ですね。カミさんはおじさんのご様子に好感を強くしていたし、まつも、を食べるたびに話になっていたので、落ち込んでました。
おそらく船を失っていると思います。
会えるといいです。
そのおやっさんに絶対会えますよ。
まつもも食えるし。チングルマ満開の秋田駒にも
行けます。絶対。ウン絶対。
gamaoさん、こんにちは。
温泉で同宿した客同士の交流とまたちがって、同じ流し、コンロ、冷蔵庫をつかい、メニューも筒抜けの湯治客同士というのは、短い時間のことでも縁を感じます。
国見温泉には毎年、来ていると話しておられたので、雪があけたら温泉に問い合わせをしてみます。
いいお湯でしたし、秋田駒もぜひ行きたいです。
温泉の建物は無事かなあ。
gamaoさんからの東北方面の山と季節の便りも、楽しみにしています。
ぼちぼち、やっていきましょう。
私もこのバスクリン温泉が大好きで何度か行ったことがあります。
いつもは連休明け頃の営業になりますが、4年前に
雪が少なく連休中にオープンしていたので、立ち寄った事がありました。石塚旅館のオーナーのやさしい年老いたご夫妻に色々なお話を聞かけてもらい、また来ますと挨拶してから、お訪づれる機会がありません。
今度は宿泊でと思っていましたので、そこで田老のおじさんのワカメ食べられたらこんな素敵な事ありませんね。
kazuhi49さんも、泊まられたことがあるんですね。
お湯は、青白く、私が好きなタイプの温泉でした。
私たちは、この宿の少し手前の公営キャンプ地に泊まろうとしました。でも、ほとんど使われていなくて、地面は湿地状、炊事棟も壊れかかっていて、断念。その道の奥にすすんで、石塚旅館に出会いました。
時刻もやや遅かったのに、湯治もできると教えてくれて、食糧を役立てたいと泊まったわけでした。
今度は最初から、湯治で2、3泊しようとカミさんは言っています。
雪あけは、早い年もあるんですね。
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