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田老のおじさんは、前よりもずっと元気なお声でした。
昨夏の国見温泉の湯治が縁で、ささやかな気持ちの交流ができて、今回の電話のあとも、カミさんとしばし話が尽きませんでした。
うちのカミさんは、手紙を書いたり、おじさんが好きな甘いものを送ったり。宿で一晩、部屋が隣り合ったというだけで、あまり差し出がましいことはできず、ほとんどなんにもできないできました。
田老のおじさんは、奥さんとお孫さんを津波で亡くしています。今度の電話でも、事情をこちらから問いかけることは、なかなか言いだせません。おじさんの話すことを聞くばかり。
奥さんを捜索して、毎日毎日、40日も浜へ通ったと、話していました。
私たちが最初に避難先に連絡したころは、そういう毎日だったのでした。だから、夕方、暗くなるまで、避難所に帰って来ることはなかったんだなあ、と思いました。40日を、一つの区切りにされたのでしょうか。
一昨日の電話では、この話を皮切りに、おじさんは、奥さんのことばかり、ずっと話し続けでした。
船乗りだったおじさんは、田老の浜へ移り住んで、ワカメ養殖の漁師になりました。その後、奥さんは、請われて、漁協の大事な仕事をまかされてきたそうです。
おじさんは、自分の養殖の仕事や漁もあるし、家の中のきりもりもあるから、「無理はしないで仕事をしないでほしい、と家内には言っってきた」のだそうです。でも、奥さんは、はりきって勤めてきた。
お話から、奥さんは、浜に近い漁協で、被災されたのかなと推測したものの、こちらからそのことを問うことはできませんでした。
「家内は、自分がいつ、どんなときでも人前で困ることのないように、外出するときは財布の中身もちゃんと補充して、外へ送り出してくれた」とも話していました。「自分にはできた家内でした」と。
捜索の40日がすぎて、今は毎朝、花を飾りお茶を淹れてお膳にあげる日々。
最近は、漁師仲間が、天然のワカメの漁に出たりし始めているのだそうです。
でも、採れるのはいつもの10分の1もなかった。しかも全量を、漁協に出すことになっって、浜では自由に手にはいらないとのこと。
「天然のワカメは歯ごたえがあって煮込まないといけないが、それもいい。養殖ワカメは、それにくらべて柔らかい。どっちもうまいんだ」とおじさんは言っていました。
今年の養殖はほとんど仕込めないとのこと。
浜を離れた場所の仮設住宅の暮らしになりますが、それでも、おじさんの声がうれしそうでした。
うちのカミさんに「あなたと話すと、家内を思い出す」とおじさんは話していました。
国見温泉にも夫婦2人で湯治に出かけたりした田老のおじさん。人生の一番、穏やかなときの楽しみを2人で満喫できるはずの時期に、と思いました。
でも、元気な声でいっぱい話してくださって、ほんとによかった。
そして、ほんとにいいご夫婦だったんだなと思いました。悲しみは、すぐには乗り越えられない。むしろ、思い出話をいっぱいしてほしいと思います。
昨夏に湯治の台所でおすそ分けしていただいた、海の香りがいいワカメ。
電話のあと、「もう一度、本格的なワカメ養殖が再開できるといいね」、とカミさんと話し合いました。
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