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の里帰りをしました。
吾妻連峰は、ちょうど滞在した時期に本格的な冬景色となり、
懐かしい姿で迎えてくれました。でも、福島盆地の人々のくらし
は、激変したまま、どうしたら3・11の前の状態にもどることが
できるのか、先が見えない状況でした。
今回は、実家に泊まりながら、小・中・高校時代の友人たちと
じっくり話を聞く時間をとりました。話が深刻なのでなかなか日記
としてアップできなかったのですが、現時点の状況として書いてお
くことにしました。
◇中学の同窓生で、男子は同学年に100人きりでした。そのうち
4人が専業農家の後継ぎになり、うち2人は現在も福島市北部で屈
指の経営を続けてきました。
1人はりんごなど果樹栽培を中心にした友人。
「消費者は、福島産というだけで敬遠する。基準値を下まわって
も、買う側にとっては放射能が含まれているのか、どうかだ。今年
の収入は、例年の3割になる」と言います。「来年も同じ状況なら
ば、資金のやりくりがきびしくなる」とのこと。
地震で半ば壊れた2つの倉は、資金の都合でまだ直すこともでき
ていません。農家にとって、倉は、資材や機械、稲作の籾などを保
管する大切な場所です。
彼は、地域でも有名な研究熱心な人で、跡継ぎのいる貴重な農家
です。このところは温暖化でりんごの色づきに苦労してきたなか
で、梨など新しい品種の栽培も挑戦しているさなかに、今度の事故
に遭いました。
◇もう1人は、温室でランの栽培を続けてきた友人。
こちらはさらにひどい事態でした。市場でほとんどまともな値が
つかない、扱ってくれない状況だというのです。「放射能の心配が
ある花を、部屋に置いてくれる人はいない」、「福島というだけで、
もうだめなんだ」とのこと。
高価なランは需要の大半が贈答品。あえて福島産を贈る方はまず
いません。
ランは出荷にも人手がかかります。以前はご近所の女性の方々を
雇って忙しい出荷作業をしていました。いまは、出荷そのものが止
まっています。ランのためには、温室の保温は欠かせません。今年は
お金が出て行く一方。
来年も見込みが立たない。知り合いを頼って山梨に移住して、花
をつくることも考えている、とのことでした。彼も跡継ぎがおり、孫も
いる貴重な専業農家です。
◇せめて、農地の除染(土壌の剥ぎ取り)をおこない、安全なレベ
ルであるという証明をつけて、生産品の測定こみで認証を得て出荷
すれば、市場も理解がすすむのではないか。ということで、りんご
農家の友人はもう何回も市や県と交渉を重ねています。
しかし、市のほぼ全域が年間数ミリシーベルトの被ばくを受ける
ような広域の汚染状況です。除染は、もし始まっても、避難対象地
域やより濃度の高い地域からになりますから、福島市内はいつのこ
とになるか、わかりません。
なにしろ年間5ミリを超える被ばくをこうむる汚染エリアが、県
全体の7分の1に達しています。
◇いま国が用意している除染費用は、飯舘村1村でまかなう分にも足
りないような額です。
現地では、“知事の家族は東京に住んでおり、福島市長は家族と
もども事故の真っ最中に新庄空港から海外へいったん避難した”とい
う話が広がっていました。
市長は、私の小学校の先輩にあたる人。一時の避難は止む終えな
いと思ったり、いや家族だけ避難させて市民の防護対策や現場から
の避難者の受け入れに、市長として手を尽くすべきだったと思った
り、私も複雑な気持ちになりました。
市長が真っ先に逃げては、市民はたまりません。
済んだことはともかく、県知事も市長も、率先して除染を開始し、
かかった費用は東京電力に請求するくらいのテンポでやってほしい
です。
農家も市民も、一刻一刻の時間の経過のなかで、苦しみが広がって
います。
◇わが実家の敷地の測定では、いったん自力で除染をしたけれど、夏
前にくらべて数値がほとんど下がっていません。それどころか、小道
一本隔てた空き地にある廃材・残土置き場で毎時2マイクロシーベル
トを超す値を義兄が測り、さて困った、という状況でした。
家の敷地を除染しても、周囲の汚染は変わらず、また庭もほこり
の飛散や雨などによって、またすぐに値が上がったりします。
日々生活しているだけでも一定の被ばくをするため、食品は県外産の
ものを努めて入手して、体内への取り込みは避けています。米もそう
です。
◇その米で、福島市の山間の地域で、地域の数戸の農家の米から基準
値の2倍以上の汚染が見つかりました。
前回のこの「情報」で、山間部では流水が溜まる地形のところでは、
セシウムの濃度が高くなるので、対象の山に入ったときには注意して
ほしいと書きました。こんどの汚染米の地区は、まさにそういう地形
のところで、実は米の測定前に、田んぼのあぜの脇の測定で、高い値
が確認されていた場所でした。
今度の件は、地形や精密な土壌測定を抜きに、まばらなサンプル調
査をしただけの出荷では、かえって県下全体のコメの信用を失ってし
まうことを、示していると思います。
米の汚染については、今度基準値超えが出たのは、玄米です。精米
をすれば、濃度はかなり下がります。継続して食べ続けなければ、幼
児ら以外はまず心配ないと思います。
ただし消費者に測定値がしっかり伝わっていないと、そうした判断
や注意は、そもそもできません。
そのためには、いまからでも、しっかりとした細かい産地別の測定体
制をとり、また、セシウムが溜まりやすい地形などもここに勘案して、
見逃しや測定漏れを防ぐことだと思います。検査体制そのものに不信を
もたれると、市場と消費者は相手にしてくれません。
◇NHKのETV特集で5月に放映された汚染測定のルポルタージュで、
福島市内でもっとも汚染が高かった渡利地区には、高校時代の野球部の
チームメート、2人の出身地です。私の姉の住む実家からは、阿武隈川
をはさんだ対岸にあたります。
ここは大きな住宅地域で、6000世帯が住んでいました。
スポットというよりも面で汚染されたエリアで、10月の測定では、
毎時2マイクロシーベルトを超える汚染地域が広く確認されました。
単純に年換算すると、17・5ミリシーベルト。地元では「水溜りを
わたるのも怖い」、「ほんとは避難したいが、お金も行くあてもな
い」という話が出でおり、家族ぐるみ引っ越した医師もいます。そ
の一方で、地域を歩いてみると校庭でクラブ活動をしている生徒らも
います。
本来ならば、20ミリシーベルトが「特定避難勧奨地域」扱いなの
ですから、ここはそれに準じて、子どもを抱えた家族などの避難を、
公的に、財政的にもサポートすべきところです。
同様の地域は、伊達郡や伊達市をふくめ、県内に広域に残されてい
ます。
福島県では、避難地域に指定されたところ以外からの「自主避難」
は、いま5万人規模で、しかも増え続けています。
地震と津波の傷跡も長く影響を残します。しかし、放射能というも
のは、これで終わったというところになかなか行き着かない。福島で
は、いまも、一刻一刻が被ばくの最中のなかで、責任をとるべきとこ
ろから何も手だてが講じられていないことを感じました。
前回、書いたように、放射能の怖さ、実際の体への影響は、年齢、妊
娠の有無などによっても違ってきますし、どう備えるかは、人によって、
家族構成によって、受けとめは様ざまです。考え方や判断は、いろいろ
あって当然です。しかし、お子さんがいて避難したいという方の要望は、
公的にしっかり支えて上げられるようにならないかと思っています。
◇阿武隈川は、福島県の中通り地方を南から北へ流れる大きな川です。
前回の「情報」で、セシウムはダムに溜まりやすいという予測を書
きました。京大の研究者の阿武隈川の8月までの測定で、次のような
データが出ました。
河口部 1日当たり 525億ベクレル流下。
伊達市(福島市の北隣) 同 1763億ベクレル流下。
伊達市での流下量は、1年で64テラベクレルになり、これは4月に、
意図的に海へ投棄して世界から批判された低濃度汚染水(1週間分1万
トン)の放射能を、毎日流し続けている量に相当します。
数値を見ると、セシウムはやはり、流れ下りながら、途中で川底や砂
州などに濾しとられるようです。ダムや農業用水の汚染も、測定した
研究者から指摘されました。
おそらく山間部の沢や河川から、中規模の河川や、阿武隈川へのセシ
ウムの流れ込みは、何年間にもわたって継続すると思われます。
盆地のほかは、ほとんどが山地の福島県。その山が汚染されると、川
を通じてすべてに影響がおよんでくるという感じです。
私が遊び、育った福島は、何もかもといっていいぐらい、ほんとうに
変わってしまいつつあります。たいへんなのは、これからかもしれま
せん。
そのなかでも農業を励ましていかないと、取り返しがつかないことに
なると感じています。
tanigawaさんお気持ち良く解ります、
ヤマレコにいつも書いていますが、昔福島に仕事で五日に一回の割合で仕事で行き来してましたから、
福島は第二の故郷と思っています、大地震の時の災害では被災者のこれからは地獄の生活が待ったいると書きましたが、
その上の原発の被害です、私のお隣りの実家も津波でなくなり避難生活でオヤジさんがこの間に亡くなりましたが、
福島からの親類は行方知れず、わかってる人も葬儀など出られず、四九日を過ぎてやっと妹さんが来ましたよ、
やはり来たくても喪服もない状態ですから落ち着いてから来たようでした、
お隣りの奥さんもまだ実家を見ていないので弟さんが車で送るついでに見てくるといって帰りましたが、
どこまで原発の影響で行けるかわからないが行けるところまでと言って出かけましたがいざ行ってみても
何処か泊まるとこをと探しても宿はお客が来ず開いていませんから車の中で過ごしたと言っていました、
こう言っては福島の人には気の毒ですが恐らく除染などしてもまだ原発から放射能が出ていると思います、
除染と言っても除染後それをどう処理するか決めていないのが現状だと思います、
そして風向きや雨などで福島だけでなく近隣の地域までこれからは汚染されていくでしょう、
この狭い日本で一旦原発事故が起これば甚大な被害が起きることが証明されました、
万が一これで関西などで原発の事故が起これば日本は全滅です、
生意気な事を書きましたがこれも現地の人の厳しい生活を多少なり理解しているつもりで書きました、
tanigawaさんが継続的に、私にも読めるようなデータを示されたり、また個々の地域、そこでの人々の生活についてレポートされている、そのことにまず大いなる敬意を表します。ヤマレコだからと遠慮される必要はありません。むしろネットで原発関連のサイトを調べるという意欲を失いつつある自分にとって、格好の刺激となっています。
今回のテーマはなかなか難しいところですね。福島を支援したいと思う方は多い。でも福島の農産物を、じゃあ積極的に購入して農家の方を助けようかと考える人は多分少ない。「安全を守るために賢い消費者になり、危険はできるだけ排除する」という考え方があります。「安全を守るために、有機栽培など、多少高くても購入する」という消費行動をとってこられた方は、当然ながら「放射能」という危険に対しても、これを避けるのが一貫した態度でしょう。でも一方でそうした「賢い」消費者は、「生産者を育てる」という意識がありますから、何とかして福島の生産者を助けたいと思いつつ、答えが見つからないのですね。単純ですが、難しい問題です。
農業を励ますとおっしゃった、ではどのような形がいいのだろうかと私も考えています。福島の農業者はどのような支援を望んでおられるのでしょうか。お叱りを承知で言えば、自らが食べるのを控えている食品を作り続けることに希望はあるのでしょうか…
津波の被災地復旧について、地元の方の意向を聴きながら復旧復興を進める一方で、防災にしても産業にしても全く新しいコンセプトで完全に作り直そうという動きが多少見られます。まさに過疎高齢化の地域に重なっているので、そのようなドラスティックな実験も大いにやってみる価値があると思われます。福島の農業においても、そのようが大規模なプランが示されているのか、あるいは今作成中なのか、隣県の同じ被災者として恥ずかしい話ですが、寡聞にして私は知らないのです…
何とか支援して差し上げたい、その気持ちはとても強いのです。
すみません、稚拙な話になりました。
naiden46 さんへ
身近に、福島の方がおられたのですね。
私は郷里を離れて、もうかなりになります。
福島の気持ちは、私自身も、行くたびに少しずつ理解がすすんでいるという状況です。
生活・生計は日々のものです。人間が生きる時間の尺度にたいして、放射能の汚染はあまりにも長期的すぎます。
そのために、これから、もっとつらい事実が進むように思えてなりません。
原発は、日本ではもう新規立地は望めないでしょう。80年代から、すでに新規の立地はできない状況になっていたうえに、今度の事故ですから。
新規の立地場所を言えないし、皆無なのですから、原発に頼るも何も、足場がありません。
8割の原発が止まっています。
かといって、自然エネルギーにも、本気でない。
これからどうやってエネルギーを確保するのかについても、とことん無責任だと思います。
kiyoshiさんへ
郷里であること、同窓生たちの苦しみであることなど、今度の報告は、つらい思いで書きました。kiyoshiさんには、気持ちの内も読み取られてしまいましたね。
久しぶりで会った農家の1人は、「実はかなりせっぱつまった気持ちになってんだ」と2回も口にしました。私は、正直なところ、言葉がありませんでした。明日も、来年も見えないところに追い詰められているのが実際なのです。
彼らの、農業にかけたこれまでの努力は、折々に会って話し合ってきた私には、ほんとによくわかっています。それだけに、経営が一気に暗転したいま、どうしてこの先、立て直していいのかわからないなかで、志をもった真面目な人ほど悩んでいるのだと思います。
そんなことが、原発からはるか60キロも離れた郷里で起こっています。
ご存じのように浜通りを中心に製造業も操業再開の見込みが立たず、失業もたいへんです。
仕事と経営の基盤までが失われたこと、そこから新しい苦しみが拡大しているように思います。
渡利地区では、私は不意のいきさつから、2人の子どもを避難させたいという若い母親と話し合うことになってしまいました。いま避難させたくとも、手立てがないし、仕事も失うのです。起こったことに誰も責任をとろうとしていません。
日本で3番めに大きな福島県で、15万人が現在も避難を続けるこの県で、いま毎日進行していることです。
3・11以前にすべてを戻すことができたら、というのが、夢想としてあります。
しかし、いったん外に放出された放射能は、人の手によって処理しきれるものではない。
せめて、国と東電と、そして原発の建設によって利を得てきた企業が、何兆円かかっても償い、再建を支えるべきだと思います。
原発をこれからどうするかを言うのは、その責任をとってからのことです。
tanigawaさん原発に対す東電の態度には疑問を持っている一人です、ただこれを書くことには今まで躊躇してきました、
>国と東電と、そして原発の建設 と書かれていますが憤慨するのは当然です、
他の人はどう思うか解りませんが、私は原発事故が起こり地元の人の苦しみを知り東電の被害者に対する態度には呆れました、
被害者は土地を追われ全財産を無くしているのに東電の社員は普段の生活、東電の社員にも生活あるかも知れないが、
給料は5割カット社員寮からは全員出て行く、これでは生活や将来の設計がたたないと思うかも知れないが、
現在の被害者はそれ以下の生活をしているのが現状ですし、これから何十年も先のない暮らしをしていくのです、
被害者の中には家のローンや仕事上の借金を抱えている人がいます、高齢者はこれからの生活はどうなるか、
家を何処かに建てようとしても銀行も貸さないでしょうし、返す事もできないでしょう、
若い人はおそらく地元から離れていくでしょう、本来ならば東電は倒産してもおかしくないです、
倒産した社員は路頭に迷うのが常識です、国や国民の税金で何とか倒産をせずにいます、
東電はこれから利益もでない会社が上場せず市場からは撤退すべきです、
その事を東電社員や家族今まで関係してきて莫大な利益を得た企業の奮起をお願いしたいです、
話がキツい事を書きましたが、被害者や国民に本当の事を隠さずに正確に発表してほしいです、
naiden46さんへ
私がお話を伺ったことがある原子力の専門家に、安斎育郎さんという方がおられます。
安斎さんは、東大原子力工学科の第1期生でしたが、未完成なまま実用化にすすむ原発のあり方に疑問を感じて、原発を推進するのではなく、原発がどこが危険かを研究する道を選びました。
そして、研究室から村八分扱いされ、助手になっても研究費も手当されず、自弁の研究を続けました。
日本中のすべての原発の立地に反対して、福島にも何度も足を運ばれました。
その東大の研究室には、東電からも研究員が来ていました。理系の研究室では、企業からの研究員が研究にくることはよくあることです。
そして、その東電からの研究員が会社にもどるときがきて、彼は安斎さんに、こう言ったそうです。
「自分がこの研究室に来たのは、安斎さんが何を調べ、どういう行動をしているかを、会社に報告するためでした」。
東電にも、何かしらの良心の一片を持っている社員はいるのです。問題は、そういう良心をもっている人びとをも含めて、国際原子力機関から何度も注意や指摘を受けても、過酷事故の対策を何もとらないできて大事故にいたった、国とこの会社の大方針にあると思います。
私は、権限をもたない個々の社員の方を責めるつもりはありません。
作家の高橋源一郎さんは、「スローな民主主義にしてくれ」と「原子力ムラ」のあり方を問うていました。
問題なのは、国や大手企業の言うこととは違った角度から研究を進め、問題提起をする人々を排除してしまう、成熟した民主主義がないこの国の現状だと思います。
安全委員長の斑目さんは、「日本には原子力を規制するDNAがなかった」と言いました。原発はもともと危険ですが、研究の自由も発言の自由もない日本は、原発を絶対に扱ってはいけない国だったのです。
kiyoshiさん、お返事の続きです。
>「賢い」消費者は、「生産者を育てる」という意識がありますから、何とかして福島の生産者を助けたいと思いつつ、答えが見つからないのですね。
>農業を励ますとおっしゃった、ではどのような形がいいのだろうかと私も考えています。福島の農業者はどのような支援を望んでおられるのでしょうか。
JA福島などの政府要求などをもとに、概要を言えば、農家が求めているのは、1つは、被害の全面補償です。
2つめに、最初の文章に書きましたが、徹底した除染と農産物の放射能の綿密な測定によって、残留放射能が十分に低いことの公的な証明を得た形で、農産物の市場への出荷を、条件があるところから可能にすることです。
この場合、残留放射能の基準は、健康にたいする影響の基準にとどまらず、市場、消費者にも受け入れられる段階にまで、十分に下げ切る必要があります。
汚染のひどい地域や、残留放射能が高い地域では、1の全面補償が長期化することになります。
ラン農家のように、やむなく新しい場所での営農を志す農家への支援も必要です。
3つめに、2の問題が長期化する地域では、その期間に農家の経営と暮らしが成り立つ手立てを、公的に援助することです。
専業農家は長期にわたって大きな所得減になっています。兼業農家は、給料を得る手段も絶たれた方が多い。
それらの収入を、農地や林地の復興事業、除染活動、また条件がある方には、浜通り地方の復興計画としてで福島県が計画している、自然エネルギーの拠点作りの事業などに参加していただくことなどで、部分的にもおぎなうことなどが、すすめられると思います。
農家でない私たちが、他の地域にいて応援できる最大のことは、何か? 私が都会の人に言いたいのは、食を支えている農家の状況、苦しみ、願いを、ともにすることだと思います。
自分が食べているものを作っている人たちの状況、そして食糧が自分のところにとどくまでの安全・検査体制について、無関心なことほど、不合理なことはありません。
kiyoshiさんのお気持ちならば、今後のいろいろな進展のなかで、直接・間接に応援できる機会があると思います。
今日は、つらいデータを知りました。
福島県では、9、10、11月の3ヶ月で、9000人が新たに県外へ避難したとのことです。
1カ月で3000人ずつが避難していることになります。
>2人の子どもを避難させたいという若い母親と話し合うことになってしまいました
と書きました。彼女の場合もそうですが、行く宛も、またお金も、目途が立たない人たちが、高い線量のエリアで日々を過ごしていたのです。
そのご家族も、ついに県外へ逃れだしました、というのが、今回の県外へ避難した方々の数字でしょうか。
どういう形で、暮らしを成り立たせているのか、暗澹たる気持ちです。
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