クリスマスイヴも何もへったくれもないイスラムの国へ、偶然再会したカメラマンのFM氏と越境した(この方とは何故かトルコ国境でもガチ会った)。
埃っぽい砂漠の町で、星の綺麗な静かな夜だった。イランに酒は、イラン(無い)。
一年前の今頃、何をしていたかという話題にFM氏、
「革パン履いて六本木のディスコで女の子達と踊り狂ってた」うわぁ。
私は卒論にヒーコラ言っていた、21年前の今日。
20年後の私は何をどうしているか?
グスコーナドリよろしく
「どんな巨(おお)きな木でも、まるで赤ん坊を寝かしつけるやうに訳なく伐つてしまふ人」を続けているはず。
イイ表現だ。あんたトーシローぢゃないね、ミヤケン。
20年は何かと節目の時間単位に思えますね。1995年は、いろいろタイヘンがありました。震災やオウムのあった日本にも、個人的にも。10年付き合った女にフラれて次の彼女と盛り上がっていた頃でした。バテレンの祭りながら、「今日はクリスマスイブか・・・」と記憶に残りやすいから尚更、時間節に残りやすい。
この、イタリヤかブルガリヤみたいな1979年革命以来のペルシヤ国旗ももう長くなりましたが、以前の王政時代の、ライオンマーク入りの方が格好いいんですよ。パキスタンは、20年前と比べると天国地獄の激変ですが、イランは案外徒歩旅行者にとってはずっと安定しているようですね。日本でのイメージとは全く違って。
そう、イランは当時のバックパッカーにとっても(それでも遅きに失した感はありましたが)パキから抜けてくると特に気の休まる治安良好な国でした。物価が安いも衛生度高く、親日派も実に多かった。ペルシャ語は字面がサンファンヌーヌーだし反米国で英語がまるで通じない国でしたが(ペルシャ語の棒読みしか手が無かった)、一番思い出深い国です。次のグルジアが酷かっただけに。
オッカアはハードボイルド彼女だったのでクリスマスにネチネチしたことは一切無かったアルヨ。いや、それ以前に所謂「彼女」でもなかったわ(こんなん書くとスナイプされそうだぜ)。
次の彼女って、、、、。
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