ここでもやはり当てられて、熊野速玉大社に着くや既にグッタリとした顔に変わっている。それでも何とか連れ出して一緒に参る。
御神木であり、天然記念物指定もされている日本最大の梛にも会えた。
梛(ナギ)はマキ科の高木で、幅広の葉を持ちながらも針葉樹の仲間に入れられる不思議な存在で、岐阜で見掛けることはなく一度目にしてみたかった木だった。かつては熊野詣での道中安全を祈って懐に入れて参るのが習わしだったとの由。
千早ふる 熊野の宮のなぎの葉を 変わらぬ千代のためしにぞ折る -------藤原定家
さて、ここで帰るわけにはいかない。駐車したまま、歩いて熊野速玉大社の摂社である神倉神社へいざ!
神倉神社は熊野三所権現が初めて降臨したとされるゴトビキ岩を御神体とする神社で、ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言とのこと。
ゴトビキ岩の存在は、かつて京都の書店で入手した「日本石巡礼」で知った。この中で、日本の磐座(いわくら)信仰の代表的な場所とされている。この本は、折に触れ手に取り眺める本で、変形B6判?といった手になじみのいいサイズで、巡礼携行を見据えての製本なのだろう。なお、著者の須田郡司氏は1962年群馬生まれの琉球大卒で、2009年から「世界石巡礼」も敢行しているようだ。
毎年2月の6日に執り行われる「御燈祭(おとうまつり)」は、写真を見るにつけ中々壮観の様だ。中上健二(そういえば新宮出身の作家だ)の「火まつり」の舞台にもなっているそうだ。氏もジャズと関連ある作家なので、いつか読んでみよう。享年46か、これを書く本日私もその年になった。
到着した赤い鳥居の奥に連なる石の階段が滝の様に見える。こんなにも急な石段を80近いご老人も登るが、おいおい下りは大丈夫か? ここでタケオはリダツ。気張るお爺に声掛けしつつ、娘と駆け上がる。登り切った先に嗚呼、海が見えるよ。その蒼さが目に滲みる。
そしてゴトビキ岩と対面する。見上げるその恰好がイイ。重々しく、さりとて威圧的でなく、存在そのものが観る者に安心を与えるといったらその有難味が伝わろうか。晴れ渡った海からの涼風が如何にも心地良い。新宮はスッポリと神に守られた町に思える。速玉大社の門前町として栄えたのだからそれは当然のことか。
ゴトビキ岩の側面にスポットがあって、強い神気を発していた(気がした)。逆光も手伝って、撮る写真撮る写真、神憑ってしまう(ハレーション)。写真と言えばここで「写真撮ってあげちゃうよオジサン」登場で、現れる家族現れる家族に一一「カメラ貸して!ここからのアングルがいいのよ」とバシャバシャやってくれるのよ。どうやらガイド氏のようだ。
急な階段をコケないよう慎重に下山し、町から見上げたゴトビキは、その存在感が再度浮かび上がってくる仕組みになっている。ゲコゲコッ!
帰宅後、タケオは健気にも「いつかまた行かなくちゃ」と言う。
そうだな、次はお前が家庭を設けて連れだって行くがいい。
登り終えたあかつきに、町から見上げる社叢の椎の木が花を咲かせる五月蒼空に見上げると一層神々しさが増すことと思う。
【つづく】
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