自転車の事です。
方言については置いておいて、我が「蹴った(くり)マシーン」が二十七年振り?に復活した!
中学時代に長良川に強い関心を持ったことから野田知佑信者になり、中高生にいぎなりカヌーもなかろうて、そいだばまずは旅ぢゃ!という順序で中三の卒業式翌日に美濃市〜郡上八幡間の徒歩旅行を敢行してみたもののスピード感に違和感あり。擦れ違う人々に挨拶するのにも慣れず恥ずかしかった。
高校に上がって「徒歩ぢゃねぇよ、自転車だ」と憧れて田渕義雄著「アウトドアライフ入門」に載っているような輪行車を求めて高校傍の自転車屋に行くと「時代はチューブラーだぁよ」と諭されてバイトして稼いだ金を投入して5万だか8万だかでロードバイクを組んでもらうことに。
高2の夏休み7月中に、サッカー部の圭ちゃんと岐阜〜志摩、答志島、船で知多半島〜岐阜といったサイクリングを敢行し、良い感触を得る。
その後8月下旬に中学時代の同級生、ウっちゃんタカちゃんと岐阜〜敦賀〜新日本海フェリーで小樽、札幌、そこから中山峠経由で羊蹄山をぐるり廻って小樽まで(旅範囲が如何にも可愛らしい)。なお、1987年当時は未だマウンテンバイクというものをほとんど見かけない時代で、輪行車として一台(パナソニック製)を見掛けたのみだった(デイパックというものもついぞ見掛けず、高校で一人だけ使用者が居たのを記憶する)。復路のフェリーは豈図らんや?敦賀よりも遠い舞鶴まで我らを運び、激走180kmの岐阜帰還と相成った。大いなる阿呆う。
その際に北大を目の当たりにして以降、私の人生の歯車がギギギと音を立てて回り出し、ギアチェンジして、、、、今がある。
と思うと、この自転車によって我が人生が方向づけられたといっても過言ではなく、今まで放置しててスマン。そしてありがとう。
(週末12年振り復活予定のプラ靴に対してもこの場を借りて謝罪致します)
高校旅行以降パンク後、志向は川遊びカヌー、冬山、沢登りへと移行し結果、放置。
頭の隅で気に掛けていたのだったが、チューブラーという特殊タイヤ故に「パンク修理」ではなく「(糊付け工法)タイヤ交換」になり安くは済まないこともあって二の足を踏み続けて早二十云年。阿呆やね。
先月、副収入があって「これかも」と思い至って近所の自転車修理専門店に見積りに行けば「ウ〜ン、工賃込みで百ドルで」と仰る。
あっ、いいえ、ウ〜ン、ええぃ、俺も男ぢゃい。払ったれい。
昨日、修理できたものを家内が受け取りに行ってくれた。
今日、会社の昼休みにちょっとドギマギして跨った。
疾走感が、タマラナイ。
二十数年前の乾いた風が嗚呼、薄くなってしまった頭髪を撫ぜつける。
ベルの位置が懐かし。
熱血オヤヂ全開ですな
プラ靴はね。たぶん壊れるよ。
うむ。
「ハゲチャリ」呼ばわりされないよう留意する。
プラ靴はね、コフラックではないので多分壊れない、うむ。
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