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だが、この緑と白と茶と水の色だけでは単調に感じるのは贅沢に過ぎるとは判っていながらもう一つ「色」が欲しい。
それも品のある色が欲しかった。
ここにホテイランでもあったらなぁ。物語としても最高なのだが。
そんな贅沢な考えが頭をよぎって以降、それらしき場所に意識的に目を向けるよう心掛け、気持ちを切り替えた。
かつて、あいうえお氏が八ヶ岳で散策中に発見した話(ビーナス・スリッパー)や、我が蘭バイブル「野生らん(保育社カラーブックス)」の簡潔にして要点だけはキッチリ押さえた短文を思い起こし、日射の強からぬ東斜面の湿り気ある針葉樹林帯に当たりを付けて着目しつつ、歩を進めつつ。
ホテイラン、漢字で書くと布袋蘭。花名は唇弁の形が七福神の布袋様の腹に似る事に由るとのこと。
日本産の野生蘭の中で最も美しい花の一つとも言われ、また「亜高山帯の貴婦人」の呼称を与える方もいる。
本州中部地方以北の亜高山地の針葉樹林の中に生える希少種で、特に八ヶ岳のものが有名だろう。こんなところに在るわきゃないよね、、、、
果たしてそれは在った!
これには思わず声を上げてしまった。
どうやら未だ「流れ」の中に居るようだ。
目の前にある物ですら「無い、無い」と騒ぎ立てる程に元来迂闊な性格で(息子にも遺伝)、殊モノを探し出す能力の低さには絶対的自信を持つそんな私が見つけられた。
ホテイランを念じていたくせに、初見ではセッコクのピンク濃厚な種類なのかと思い違いをしてしまった。いや、林床に咲いているから着生蘭であるセッコクではないはずだ、とすると、、、、。
苔むした栂の根元にたった一輪だけ、小さいながらも気品ある紅紫色がその存在を強く主張していた。あたかも一点、熱を放射している如くに。
発見の状況もタイミングも手伝い、正に神秘的妖精との出逢いだった。格好が何とも愛らしい。
触れて接近すると、ごく微かな芳香があった。
一葉一茎で、葉はシハイ(紫背)スミレの様に裏(背)が紫だった。蘭らしからぬ”シュッ”とした葉ではない。
尚、すぐ傍に2本の深山丁字桜もあった。これまたありふれた木ではないはずだが。
復路夕刻、ヘロヘロになって再度見に行くと午前より心持ちこうべを垂れるその姿が「御無事でお帰り、何よりでした」と心が通じる思いがした。
ただもう、今後会うこともなかろう。
立ち去りはしたものの、町へと戻った今でも私の心の一角にはホテイランが可憐に咲いている。それも一輪だけ。
多年草であるホテイランが、きっとまたあの場所、あの季節に咲くであろうことを思うだけで不思議と幸福な気持ちになれる。