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歌は巧い、声も通る、発音もそれらしくまた実績もあって申し分ない。
そんな彼女がジャズを歌う。vol.2なので少なくとも一作目は売れたはずだ(3も出ているようだ)。
だがしかし、それら条件が揃っていながらも必ずしも人の心を打つわけでない、というのが歌唱の難しさなのだろう。
それはきっと、ライブでの遣り取りを通じてお客の反応を見つつ、日々の鍛錬の中で間合いを見極めて歌い方を変化させていく他ないのだろう。
人の心を鷲掴む歌唱法は技巧とは別のところに在って、それはそれは狭き道に思える。
大径木伐採(伐倒)もそうだ。
現場作業班某氏のことを例に挙げれば、何事につけても要領がいい。手際もよいし、人当たりも良い。頭も切れるし体力も申し分ない。
(ただ、昔気質の封建的指導のために今風の若者には通じないところがあってトラブルあるのは互いに問題がある。それはこの際さて置いておいて。)
大径木の伐倒にしても、某氏は最初でこそ酷く下手糞な伐倒だったものの、持ち前の要領の良さで「一見」正しい型を作り上げて、社長の指示通りに与えられた仕事を手際よくこなす。無駄も無く、効率も良い、更には(前職突然の首切りに有った際の採用だったので社長に恩義もあって)多少の無理も聞き入れる、社長とっては得難い右腕のようだ。
ただ、これまで致命的ミスを私の目の前で二度犯している。
見逃しようもない大きな「穴」がある。後になって知るところとなったのだが。
youtube観ても同様の欠陥映像があるが、「やってはならないこと」を熟練っぽいオジサンが平気でやって、それを映像で流されることを恥ずかしいとも思わない。恥を恥とも思わない。
職人的技術には、要領やマニュアルで乗り越えられないスキル部分が必ずある。ましてや我流ではお話にもならない。
それは林業に限らず、農業、狩猟、ウナギに寿司にとどの職人分野でも同様の事と思う。命に別状なければいいのかもしれないが、伝承という意味に於いては不味いのは問題とされよう。
伝統的に受け継がれてきた禁忌には意味がある。理詰めで捻り出す前に、経験則に裏打ちされた正統がある。「三ツ緒伐り」然り。異端から生まれた技術は陳腐化し易く、やがて淘汰されてゆく。
伝統的に継承されてきた技を、直に現場で教わって修練し初めて技術習得できてゆく。
伝承で「やってはならないこと」はやってはならない。理論ではなく(理論で後付するのはいいとして)。
技巧に溺れてはならない。
しかしそここそが妙味であり、この仕事を魅力あるものにしている一側面でもあり実に面白く思う。
要領の良さだけでは越えられない深い溝がこの世界には厳然とある。
小手先の技術で世を渡る人達というのは確かにいる。テレビ新聞に掲載されると特にその傾向は強まる。
林業界に於いてそれは針先の僥倖で致命的なミスが露見せずにいるだけのことで、
『100本伐って、100本ともにミスなく伐れるのがプロであって、その内の1本でも切り損ねて電線に掛けたり、家の屋根に当てたり、高級材の元木を「はざらかして(割らかして)」商品価値を無くすようなことをしているようではアマチュアの域を出られない。』というのが親方のキヨッさの口上である。
失敗した一本に限って、それは素性の良い高齢級の檜大径木だったりするのだ。これだけは何があっても失敗は許されない一本に限って、木はそれを見逃さないかのように見透かしたかのように悪意無く応じる。
その失敗に「まぁ、こういうこともあるよね」で済ますものだから、目も当てられない。
「俺ぁ、サラリーマンぢゃねぇからよ。プロの伐採師だから日々勉強してんだ。何故失敗したのかを、その失敗から学ばんと進歩も無ぇし、第一面白くねえだろ。」とキヨッさ曰く。
要領のみが、伝統的技術を越えることはない。
年端もいかぬ子供時代からグループを組み、その歌唱力で世を渡ってきた四人の内、今井絵理子氏は先の選挙で今や参議院議員となり、島袋氏はソロシンガーとして歌い続けている。
えっ、島袋ちゃん先週SPEED婚約した? それはおめでとうございます。
続けることが大事だと思う。
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