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1999年と記憶するが、大雪山・旭岳〜トムラウシの百名山二座ゲット、ゴールデンルートのボッカバイトで客としてお会いし親交を結んだ上窪さんを頼っての訪九だった(後に8名の方々が無くなったA-muse travelツアーの同ルート)。
名古屋から長距離バスで港町、長崎へ。長崎からは、当時は芸人「はなわ」の佐賀歌で話題だったその地に長崎本線で向かって鈍色の有明海を望んだ。
佐賀市では佐賀県立美術館で折しも開館20周年記念企画展「近代洋画の開拓者たち-アカデミズムの潮流-」が開催されて大いに喜んだ、楽しんだ。佐賀出身洋画家と言えば岡田三郎助や久米桂一郎が挙がろうが、私にとっては画家であり外交官でもあった百武兼行の作品が是非とも観たかった。京都で会えなかった鹿子木孟郎の「新夫人」とこんな形で対面できるオマケまで付いて、図らずもストライクな特別展に当たり、ギョーザも食して大満足で佐賀を後にし、福岡市内でジャズのレコード漁りしてから待ち合わせ場所の小倉駅へ。
上窪氏の山仲間某氏共々大皿海鮮料理を頂き、酒も鱈腹飲ませて貰って翌日は門司観光にお連れ頂いた(関門海峡へは2012年夏に再訪を果たした)。
お別れに、細身の湯線入陶製焼酎カップを頂戴した。
小倉から再度福岡市経由、筑肥線で二丈町「大入」へ。ここにはかつて札幌の一軒家に数人で同居していた内の一方、new-gooさんがお住まいで「やあやあやあ」と鷹揚に迎えてもらった。確かB.B.(ブリジット・バルドー)のCDをお土産に渡した覚えがある。屋上付きの広い広いアパートで、この方らしさの滲んだ雰囲気の部屋作りになっていた。翌日にはgoo氏の山仲間で服部ブンショー氏と同山行でK2を共にした?松本某氏と3人で糸島半島の二見ヶ浦に位置する「サンセットカフェ」というモロそのままのお洒落レストランでピニャコラーダではない何か?を飲んだ。その晩はH.B.B.Q(ハンモックバーベキュー)で更に歓待頂き、夜は更けた。
文祥氏によれば、この某氏は結婚相手を選ばねばならぬ程にデカ珍だったとの情報をその後に得た。当時の彼女にはモノがデカ過ぎて「入らない」悩みを高所順応中に吐露していたそうだが、後に結婚通知が届いて「今度の人には『入った』んですね」と祝辞を述べたげな。
この周辺の環境を、晩年に能古島に住んだ壇一雄が好んだのも判る気がする。快活で美しい海、穏やかな人々、空港へのアクセスも至便で海有山有文化有と、大都市近郊での住環境としては他に望むべくもないものに思う。冬には雪も降るそうで、そんなうそ寒いシーンが「火宅の人」にもあったっけ。
その翌日の深夜バスで名古屋に向かう道すがらの早暁、濃尾平野の向こうに白き城塞・御嶽の雄姿が遠望されて旅の終わりを知った。
確かその翌春に、美濃まで遊びに来て下さった。夜、余りに静か過ぎてよく眠れなかったとのことだった。
同じくその春に、今の家内と結婚に向けてグググと人生の大きな動きを迎えるとはその際、露知らず。
頂いたそのカップも、昨秋の庭でのB.B.Qの際に落としてしまった。
結構気に入って十年以上も使っていただけに、薄暗がりの中で「かしゃ」と力無く割れたその音が、長く耳に残った。
大相撲九州場所が開催される度に、思い出す。
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