行けなかった。
私の両親は、旅行や外出することに不得手だったようで(無関心?)、新境地で見聞を得ようだの出会いを求めようだの登山で悟りを得ようだの考えたことも無いような風情で、気の効いた旅行先に連れて行ってもらった記憶が無い。記憶にあるのは友達の親に連れて行ってもらった事ばかりだ。
だからこそその反動で、京都奈良への修学旅行ごときで小6の私は必要以上に興奮した。
図書館でガイドブックを何冊も借りてきて、宿泊予定の鴻臚館はグレードがどうだ、近所にあんなお寺もこんな土産物屋もあってあれ買おうこれ買おう、こんな食べ物岐阜には無いな、ツアールートを外れて哲学の小径を歩いて見たいだのと、想像は膨らむばかりだった。興奮の余り発熱して寝込んだ覚えがある。
反動が反動を呼び、鉱物ガイドブック片手に親兄妹巻き込んで山奥に石探しに行って見たり、郡上八幡まで歩いて見たり橋から飛び込んでみたり、自転車で志摩半島知多半島やら北海道クルクルしてみたり、将又川下ってみたり冬山登ってみたり沢登ってみたり。
結果、こんなになってしまった。。。。
他人に拵えてもらったものではなく、自らの発案によって自らの手で拵えた旅の形を自ら成し遂げたい、という強い欲が私の胸中にある。
旅行や運動会、地域行事のお祭りもそう、小学生時分からこうしたお仕着せのイベントにどうしても興味は持てなかった。
この旅行の真意は?お祭りの原初動機は? 他者にしつらえ作られたイベントへの検証は?(小学生時分にここまでは考えなかったが)
どんなにささやかな山行であってもいい、
どんなにささやかな旅行ででもいい、
自発的発想の下で計画を立案し、アプローチを調べ上げ、過去の記録を研究し、天候を見計らい、何を持って何を持たず何を食べるかを決めてザック一つに収めて生活圏から離陸し、目的を遂げて無事生きて帰ってくる。それこそが面白い。そんな一連が楽しかった。
他人に作ってもらった山行や旅行に乗っかるのはそりゃ楽だし群れれば楽しいハプニングもある。手配されたバスに乗って配られた弁当食べて、観光地のツボを押さえた漏れの無いツアー巡りで証拠写真撮って温泉宿泊まって美味しいモン食べて飲んで歌ってシッポリして。言うこと無いだろう。それもまたいいかもしれない。
翻ってウチの坊主はどうだろう。
小6でゲームとその動画サイトに夢中の年頃の11歳、約束した手伝いもスッポカし、未だ未だ「人間」には遠い。
ゆくゆくは、時流に流されること無く自らの頭で考えて判断し、右左の意思決定が出来さえすればいい。
"考える葦"になってくれれば。
不登校も「皆とは違った道を歩いている」という意味に於いては、好意的に将来を期待したい。
★自由自在【自ラニ由リ自ラニ在ル】
自由は不便であり、時に不快でもありまた、痒かったりも痛かったりもする。
また時に自由は、思いもよらない地平を目の前に出現さす。
人は感動するために生きているとするならば、その自由がそれら機会を幾度私に与えてくれたことか知れない。
私の息子は不登校ではなかったが、小6の就学旅行には参加しなかった。前日になって突然、腹が痛くなったのだ。女房は慌てふためいて、学校に連絡したが、私も女房も彼の体調を全く気ずかうことはしなかった。顔色を見れば一目でわかる。イジメか何かがあって面白くなかったのだろう。
私は彼を西穂高に連れて行った。独標までの予定だったが、彼は玩として西穂頂上まで私の先を歩いた。クラスメートが京都の寺を散策しているだろう時間に山頂に立った。会話らしい会話はほとんどなかった。彼なりに何か思うこともあったのだろう。
その彼も自分で奨学金を探してきて大学を卒業した。子は親の考える以上に「したたか」なのだろう。たまに二人で酒を飲む。親として一番うれしい時間だ。
maasuke1 様
個人的なお話を披露頂き感謝致します。忘れ難い山頂ですね。
ウチの場合、原因がイジメではないことは確かなのでその一点については安心できるのですが、人と違う道を往くというのは子供にとり親にとり勇気の要ることです。
運転中に河島英五の「生きてりゃいいさ〜」や「お前がハタチになったら〜、飲みたいものだ〜」を歌うものです、一人で。
似たもの親子に見える。
膨大な時間と空間を社会との接点を少なくして過ごしてしまい、そのことを後悔する気持ちと、後悔を拒否し必死に肯定しようとする気持ち、あるいは社会を生きて来た(中にはうまくやったように見えるかつての仲間)との格差等に苦しんでおられるように見える。
お子さんは、これからネットとゲームという壮大な時間と空間に飲み込まれ、社会との接点をなくそうとしている。
両者に共通するのは社会から、先行する何者かが作った(自由を含む)イメージの世界への逃避であろう。
修学旅行に行けなかったことがトラウマにならないよう祈るしかない。
240様
親子故、似ている以上に同じものを携えて生きていることを自覚しております。
私と同じ道を歩くであろうことも想像しますが、幸いにして妻や姉妹も居る環境下で「自分だけではない」社会性を帯びた世界に進んで行ってくれることを信じておる今です。
息子の、日々の明るく朗らかな笑顔にそれを予感します。
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