また、windows画面上で右クリックして「新規作成」の「テキスト ドキュメント」がメモ紙同様に手放せない。仕事上の遣り取りや経緯を後に思い出すための手掛かりとして、残すように癖付けている。でないと、何故そう言った判断をしたのかすら説明できないことが最近あった。
折り良く(折悪しく?)食卓に「To Do」ノートが置いてあったのも何かの啓示なのだろう。
45歳頃から物忘れが富に激しくなり、若年性健忘症か?とも疑うものの、チェック項目に当てるとそうでもないらしい。もしや母と同病? アルコール摂取の悪影響だと家内は申すが、止められない心がそれを打ち消そうとする(それがアル中?だからアル中?)。
メモを取ってもそれが曖昧だと何を意味するのかすらも時々忘れてしまう体たらく。
記憶力の良さだけで辛うじてここまで渡ってきたというのに今後どうすりゃいいのか?
昔観た映画にあったなぁ、大事なことは身体に入れ墨で書き記す刺青男の話(メメンモ、ではなく「メメント」2000年)。時系列逆展開という斬新な映画で、あれは前向性健忘というものらしい。
私が実生活でも日記を書き続けまた、この場を借りて「日記もどき」の駄文をつらつらと書き綴っている一つの理由には、忘却の彼方にゴミ箱行きになってしまう個人的な記憶を残したい心持ちが確かにある。書いておかないことには忘れ去ってしまうけれど、書き残しさえしておけばブラックホウル行にはならない多少なりの安心感がある。
『燃やした紙はこの世から一切消えて無くなる』
この潔さを信条に生きてきたくせに、こんな電子媒体上に残してしまう安心と不安とが綯い交ぜになったアンビバレンスに安住しているようでは、河原で随分な量の紙を焼いてきた意味すら問われてしまう。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する