北国で暮らすと体感としてわかるけれど、11月同様にこの2月時期もまた精神の谷間になりがちなシーズンで、定職を持たない私の様なフラフラさんにはアルバイト口も少なく中々にキッツイ季節だった。金が無い上に寒いというのは如何ともし難い。ロシアが南下政策を取ったのも体感として理解が及ぶ。まぁ、今となっては貴重な経験だ。
そんな谷間に雪まつりという大イベントを張る(拵える)アイディアは経済効果を含めて確かに悪くは無い。この祭りの原初動機はそこいら辺にあったとジャズィ、いや邪推するが如何だろう。ただ、寒かったから?
雪まつりは、確か大学一年の時にフラッと行った記憶があるようなないような。ええい、祭りとは縁がないのよ、寒いのよ。
祭りの話ではない。
20代も終わりの頃の世紀末、そんな金も無い女も居ない寒々しい季節を、山岳部々員が住まう一軒家、通称「おばけ屋敷」でやり過ごす手法の一つが今は無き「蠍座」に安映画を観に行くこと、そしてもう一つが深夜に酔くろうてテレビ東京「ファッション通信」再放送を観ることにあった。
石崎の野郎とディック氏と、ジョルジュ&ガッパーナは新しいデザイナー入れたな、とか大内順子の今週のコメントは怒気含みで気が利いてただの、モデルとしての市川実和子の立ち位置は一体どうなっている等々、煌びやかな画面を肴にムサイ男が芋焼酎を片手にアーダコーダ言う雪の夜が更けていく。
特に、当時の新進モデル・田辺あゆみは私のお気に入りだった。インタビューに気の効いたコメントや特段顔の造形に惹きつけるものがあるというわけでもないけれど、不思議な吸引力が私には感じられた。
何せ、シュッとしてデカイ!
hiromixとの合作や、単にモデルとしてだけでなく歌手として、テイ・トウワのプロデュースでCDやピクチャーレコードまで出してその業界が売り出し攻勢を掛けていた。思わず買ってしまったのは言うまでもない。その路線でのその後は、、、、。
時遡り、ユーラシア大陸旅行中には数多くの「似た者」旅行者たちとの交流が在り、幾人もの興味を惹く日本人との出逢いがあって、それは今の私の財産でもあるけれど、特に気の合う連中というのが不思議なことに明治大学卒の人達であることが多かった。
そもそも旅行者に早稲田慶応卒は多くは無かったし、出会っても気が合うということは少なかった。
気が合うというよりかは、話していて波長が合い楽しい気持ちになるというのが正しいか、カメラマンの藤代冥砂氏もそんな一方だった。
氏とは、旅行中に示し合わせてもいないのに幾度かバッタリ再会した。パキスタンのクエッタでまず「こんにちは」パキからの出国時に再会し共にイラン入国、その後別れて私はペルシャ湾の街、バンダルアッバースへ行ったがイラン出国時に又しても再開して共にトルコへ。「グルジアに行ってみませんか」と言われるがまま同行して、当時日本人は殆んど入っていなかった同国を旅した。以降トルコ、シリア、ヨルダンと再会こそしなかったけれど宿帳で生々しい痕跡をみて極近くに居ることは判った。当時ユーラシアを陸路西へと向かうコースにそうバリエーションも無かったのだ。その時期周辺の女性達との出来事は氏のデビュウ昨「ライド・ライド・ライド」にもある。「ヤレ・ヤレ・ヤレ」?「やれ、やれ、やれ」? 面白いです。
グルジア前のトラブゾンという港町で同宿した際(チェチェンの船乗っ取りテロがあった)に聞いた話と記憶するが(主に数々の女性遍歴)、そんな貴方の結婚対象とする女性の理想はどんなやな?と聞けば「ズバリ、馬鹿っぽい娘ですね。」諧謔なのか、何なのか?
私が帰国後も、アルゼンチンから手紙を頂いたりの交流は暫く続いた。
世紀変わって、藤代氏が結婚してその相手との日々を撮った写真集「もう、家に帰ろう」の表紙を見て大いに驚いた。
何と相手がかの私の世紀末お気に入りモデル、田辺あゆみ氏だったから。カメラマンとモデルの線で繋がると言えば繋がるのでしょうが。
ということはあゆみ氏は、、、、馬鹿っぽい?
藤代氏とはもう一つ話があった。
始められた当初は知らないが氏は2010年頃からブログを開設されており、日々さりげなく撮った写真にショートコメントを付してアップするという簡素なものを続けられており、私も折を見てフォローしていた。
旅先、出張先でも目についた風景をバシャバシャ撮ってはズンズン更新し、見る側としてもストレスなく続くものだった。
その藤代氏が札幌へ出張し、ホウと思ってその掲載写真を見てビックリ。早朝散歩の道すがら、何となく撮ったであろう一枚に、私の住み親しんだ上記「おばけ屋敷」玄関写真が在ったのだった。現在195万もの人口を擁する札幌の街に、果たして何十万軒の住宅が立つのか知らないけれど、そんな中から選ばれた偶然を、何と呼べばよいのか。
ごく最近、様式を変更して現在進行中のブログの文章のタイトさは、開高健氏だかが言っていた「言葉から言葉へ飛び移る」才気を感じて、旅行中の会話をも思い出した。
また最近に若き日にアシスタントとして師事?したユルゲン・テラー氏との関わりについて書いているがそう、指向するのはヨレヨレ側ですね。
http://meisablog.jugem.jp/
またこの時期は、27年前の今頃、山岳部同期小松君のオロフレ山遭難の頃でもある。合掌。(仕事上、この作文記載のタイミングを外してしまった。スマン小松。)
macchan、石崎とディック氏が、毎夜毎夜ぐだぐたと、酒を飲みながら駄弁っていた「おばけ屋敷」の居間の上の2階で、当時、無職だった私は就職のための勉強をカリカリとやっていた訳ですなぁ。
シェイク様
そうだす、そうだす。ぐだぐだと生きておりました。
シェイクさん見習って俺も就職のための勉強を!という前向きさは3人には無かった。
http://meisablog.jugem.jp/?eid=2829
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