旅の途上の彼方此方で擦れ違った方たちの名前住所が目の前に現れて、椅子にズブリと腰掛けて懐かしく目を通した。
の、パート2。
その内の一人、インドのアムリッツァルで出会った平岡アイウエオ氏(仮名)も、それまでに出会った旅行者同様に所謂フツーの方ではなかった。
さりとて、特別なエピソードがある訳でもないので予めここで断っておく。
ま、インド一人旅の女性が普通であるとはどうにも考えにくいのですが。
インドの安宿、いや書いてきて思い出してきた、シーク教の聖地である街のその総本山ゴールデンテンプル(黄金寺院)が解放している巡礼無料宿で氏とは出会った。
シュッとしてセイの高い(デカイ)一日本人旅行者である平岡氏と、安レストランで食事を共にし、これまでのお互いを話した。
金沢美術工芸大学を出て就職をしたのかしなかったのかは忘れた。
ワーキングホリデーでカナダだかで英語を学び、そこで稼いだ金で旅に出ているとかそんな話だった。
帰国して漫画を拵えて一発当てたなら「岳」の石塚真一氏だが、それは別の物語。
話はここから。
お生まれはどちらで? チャイを啜りつ伺えば、
「岐阜です」ええっ、俺もです。高山なんかではないですよね?
「岐阜市生まれで育ちました」ええっ、俺もです。御年も近いようですが、高校はどちらへ?
「長良川高校(仮称)です」うえええっ! お、俺もだすっ。
聞けば、御年2つ違いなので私が入学した年の最上級生だったそうで、一年間は同じ高校に通っていたのだった。
セ、パイセンッ!
まぁ、当時の高校は一学年に400人以上は居た頃なのでビックリするほどの確率でもないかもしれないけれど、ビックリしたってバチは当たらぬ程度の偶然話に思う。
共通に知る美術教師の話なんぞで細やかに盛り上がった。
その後予定の私のイラン行を随分と羨ましがり(今は知らないが当時はイランの女性一人旅は宗教上治安上”有り得ない”雰囲気が有った)、それでも自分を抑えることができずとうとう一人で【男装して?】潜入してしまったというからやはり只者ではなかった。
そんな経歴を生かして後に「地球の歩き方イラン編」初版の編集に携わった。
それにしてもイラン、エエ国やったなぁ。
帰国して再会、改めて意気投合し一気にテキーラ!一息に一線越え!ということもなく、オトモダチとしての付き合いが暫く続いた。
未だに賀状の遣り取りは続いている。
結婚子持ちの我が家に気遣って遠慮されているようだが、これ読んだら遠慮なく遊びに来て下さい。あおいうえさん。
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