旅の途上の彼方此方で擦れ違った方たちの名前住所が目の前に現れて、椅子にズブリと腰掛けて懐かしく目を通した。やいやいやいやいや。
その内の一人、メキシコのマサトランかラパスかでバッタリと出会った青柳敬史氏(これ読んだら請う連絡)はマースケさんと同じ?商船乗りだった。
業務上、乗船期間に比して日本滞在期間は限られており、乗船に際して東京集合できればいいのだからその日本在住時に本社のある東京に所在を縛られることもなく、家賃の会社負担の範囲内で「日本の好きな所どこに住んでいい」と云われたと。
一人身で国内縛りで「好きなところに住んでいい」と言われて、貴方なら何処に住む?
私なら、、、、東京? んな訳ゃない。
昔と違って今や欲しいモノすらカチカチっとすれば大概のモノは届けてくれる時代。
気が置けないジャズ喫茶と、讃岐うどん屋、あとはカレー屋が在れば尚良し。
されば高松、と言いたいところだが山が無い(あるといえばある)。
【高松の「アップタウン」は、弩級のジャズ喫茶デシタ】
富山など海の幸アリ、山在り美術館ありでかなり悪くないが冬の天候が辛いらしい。
まぁ、酒の肴に追々考えるとして。。。。。オイオイ、貴方何様?
当の青柳氏が如何なる地を選択したか? その回答が、
『函館』なのだった。
私なぞついこの間まで住んでいたばかりの愛する街を褒められて、気分の悪かろうはずがない。氏は一度訪れて気に入ったと言う。地球の裏側彼の地の安宿で函館話を肴に大いに意気投合しテキーラを「サルー!」の連呼で飲み過ぎ、互いに翌朝のバスの時間に遅刻し掛けた。その宿酔がまたキツかった。
帰国して再会、会社借り上げの青柳氏の海の近くの函館マンションに押しかけて、テキーラで乾杯したことは言うまでもない。
このアパートが実際、青柳町に在ったりしたら話が出来過ぎだが、そこまでの話ではない。手帳に拠れば函館市大手町12-●-●とある。
検索するとあな恐ろしや! グーグルのストリートビューで出たよ! まだ建ってた。そうそう、この出窓覚えてる。
函館湾を染め、渡島半島の山々に沈む夕照が綺麗だった。
翌朝、再度テキーラの完敗も食った。
暫くは賀状の遣り取りもあり、じきに結婚し児も授かったまでは聞いた。
今も達者で暮らしている事と思う。
再会のあかつきには、またテキーラで乾杯したいですね。
今度は俺が持ちますんで。
石川啄木の歌に「函館青柳町」がどうのこうのというのがあった。航海訓練所の練習船北斗丸で初めて函館に寄港した時、青函連絡船に努めていた先輩から飲み屋で「函館に来いよ」と言われたことを思い出した。青柳町だったと思う。
はめたボタンがちょっとずれていたら、macchanと大門の飲み屋で会っていたかも知れない。
maasuke1様
「函館に来いよ」青柳町にて。演歌歌手の歌詞に易々と入り込んでしまう感じがイイ。
大門の飲み屋よりかは、神崎川周辺でバッタリとお会いしそうです。「日永岳にて」。
函館には都合6回も訪れました。3回は練習船で、あとの3回は飲み会です。名古屋から飛行機で飲み屋へ直行でした。だから函館山からの夜景は見たことがありません。飛行機が海面すれすれに函館空港へ着陸するときの「ワクワク」感はいまだに夢に出てきます。魚の美味い街でした。
わけあり居酒屋「日永」ですか。。
maasuke1様
六度の訪函とは、マースケさんにとっても御縁のある地なのだと思います。良い所でしょうか? 飛行機で函館に行った記憶が私には無いのですが、恐らくすべてお金ケチって小樽〜敦賀の新日本海フェリー利用だからだと思われます。
青柳町に住んでいたことあります。函館は、外の人にとって日本一魅力ある町なのに、ここの生まれ育ちの人にとってはそれほどでもないと言うことが多くて困惑しました。
やはり、生まれ故郷は一度出てみないと値打ちがわからないみたい。
港を見下ろすナポリの裏路地のような家で、このボロ屋、土地付き250万円で買いませんか?と言われたことあり。すごく迷いました。お化け屋敷みたいに、学生に格安で延々貸すことも考えたのですが。
米山様
在住時に地元ッティとの付き合いがそうあったわけではなかったけれど気質故か、おらが街を自慢する風ではなかったですね、確かに。
水産生に貸すアイデア、惜しかったですね〜。借家兼別荘!
でもその手の所に住んでいた身としてはボロ屋の生々しいイメージができてしまうので購入の二の足踏んだのも解かる気でおります。
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