「香」という字は、禾偏に日と書きます。だから何?
春というのにウチの玄関には色が無くて寂しいので、先日娘と花籠を買いにリサイクルショップへ出掛けた。
山採りしてきたミツバツツジやヤマブキなんかの色味の有る花を盛って、玄関口にその籠を置いて色気を出してみようと思ったのだ。
そのセコハン屋だが、こんなものでも売り物になるかよ!レベルのガラクタ類も結構な割合を占めており、まあだからこそ花籠が一ドルもせずに買えたりするわけでもあるが、タンスから古着から扇風機から電動ドリルからタイヤから、将又ブランドバックまで物という物が溢れ返る店であった。
そんなブランド物コーナーの端っこに、使い古しの香水がドンジャラと置いてあった。あと残り僅かのチャンネル、いやシャネルの小瓶から、洒落た小粋な形状の名も知らぬイタリア物、ブルガリ、ドルチェ&ガッバーナの未使用品まで「お好きにシュッシュしてみてね」位の大らかさだ。
私がそんなものに興味をもつ訳もないのだが、中で見覚え有る特異な形のものがあって手に取った。
ああ、これは。
1998年と1999年の二年続けて、雪解け時期限定で国道の線引きバイトをした。それで稼いだお金すべてを、日高山脈の沢登りに投じて通ったものだった。
その際に、旭川出身の沼田くんというのがこの香水を好んで付けていたのだった。
●NICOS Sculpture HOMME(ニコス スカルプチャー オム)というおフランス製のモノやげな。
◯スカルプチャー; 彫刻の意の他に付け爪(人工爪)の一種、ともある。そんな形だ。
沼田くん、興味関心は車、女、携帯といったまあ何と言いましょうか、ごく一般的な年下の若者だった。
帝都物語に登場する加藤保憲(嶋田久作)の顎部分が似た青年で、かなりの仕切り屋だったために頼もしくも有った。
大体においてグループを組んで作業をするというのが極めて苦手な私としては、やり易いとはとても言い難い仕事だったけれども、その仕事内容のスカッとした爽快感が悪くなくて、私としては珍しく2年続けて受けた仕事だったのだ。また、一番年嵩のいった私が班長のような役割を受けていたのだったが、この沼田君(渾名はスマタ好きとの噂でスマタッチ転じて「スマッち」)が意外にも年上の私を随分と立ててくれたために、あれこれと都合が良かった。
このアルバイトは、温泉宿に泊まり込んでの連泊バイトで、飲んで食って暴れて飲んでの付き合いがあった。
それまで育ちの良い心の純粋な仲間達としか付き合ってこなかった私としては世俗を知る好機でもあったのだったが、世の一般的若者がここまで金銭感覚がズボラだとは露知らず、前借りは当たり前、下手をすれば仲間にも借りてオマケにトンヅラこく話もあって驚いたものだった。貯金も当然零、これって普通?
三月に渡るアルバイトを終えるに当たって、良くしてくれたスマッチには別れしな「ロックドラッグセックスもいいケド、こんな小さな街に籠ってないで、貴君ぐらい人当たりの良い青年なら外に出ても面白い出会いが必ず訪れるはずだから、バイト生活続ける位なら一年くらいクニを出て外の世界に行ったほうがイイ」好意を込めて伝えた。余計な世話だったけど。
40を越えた彼も、今ではきっと家業のコンクリート会社を継いでいるのではなかろうか。
シュッとして嗅いだその香水が、18年前の今頃のそんな話の思い出に私を瞬時に釣り込んだ。
臭い、いや匂いにも効用がある。
「嗅」という字は、自らの口が犬と書きます。自らの犬が口である、か?
匂いというのは、記憶を直撃して持ってきますね。熟成20年。
道路のライン引きバイトはもと寮に来たんだよね。僕も1985、6年ごろやりました。土木作業員ワールドを体験する、貴重な機会だったはずだけど、あのラインの匂いくらいしか記憶にないです。ちょうど5月、これからの季節ですなあ。
美深だったか音威子府村あたりの国道40号線をひいた覚えがあります。
あのころはスパイクタイヤだったから、雪が溶けると大急ぎで消えたラインをひいたのです。
スパイクタイヤ当時の春の札幌市街って粉塵モヤモヤで、鼻毛が伸びて伸びて仕様がなかった。
国道40号は隣の班の担当でしたよ。私の班は日本海側沿い国道232号と、237&38旭川〜富良野〜狩勝峠で、白い利尻や十勝連邦観ながらの作業で私には打ってつけでした。
私、この春の異動で、そのライン引きを発注する側になりました。市内ですけど。今スパイクはないけど、やはり除雪作業で消えますので、幹線道路は毎年引き直してますよ。
影にそんな話もあるのだと思って頂けると幸いです。
会計検査と鼻毛に留意下さい。
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